ジャスミン、マスカット、桃、栗、とうもろこし、きな粉、ハーブ、スパイス、トマト、ミルク、マヨネーズ、海苔。

これらは全て、私が「緑茶」から感じたことのある香りです。

緑茶の香りは200種類以上、紅茶や烏龍茶の香りは600種以上の香気成分で構成されており、それらの成分が複雑に絡み合い、お茶の香りが作り上げられています。

私たちが普段感じている味は、味覚と嗅覚、そして食体験によって作り上げられていて、中でも嗅覚が味に与える影響は非常に大きく、「味の8割は香り」とも言われるほど。

繊細で複雑な香りを持つお茶は、香りを楽しむ飲み物なのです。

今回はそんな、繊細なお茶の香りを操り、様々な香りのお茶を作る井村製茶にお邪魔しました。

静岡県島田市で150年、「香り」の井村製茶

Tea fields at Imura Seicha on the northern edge of the Makinohara Plateau in Shimada City, Shizuoka, where the family has farmed for six generations

静岡県島田市といえば、大井川の下流域を挟むように広がる地域。上流を辿れば川根本町が、市の南部には日本有数のお茶どころである牧之原台地が広がり、古くからお茶づくりが盛んな地域です。

井村製茶は島田市菊川、牧之原台地の北端で150年もの間、お茶づくりを続けてきました。

Imura Norio, sixth-generation head of Imura Seicha, who has built his reputation on aromatic black teas and pan-fired green teas rather than the region's standard deep-steamed sencha

6代目の園主・井村典生さんは、紅茶や釜炒り茶、香り緑茶など、香りに特徴のあるお茶を作る、香りのお茶のスペシャリスト。

牧之原といえば深蒸し茶発祥の地ですが、そんな深蒸し茶の聖地で、「香り」に大きく焦点を当てた井村さんのお茶づくりはかなりユニークです。

お茶の香りを左右する3つの要因

お茶の香りを左右する要素は大きく3つ。品種と栽培と加工です。

品種によって、そのお茶が持っている香気成分は違います。ストレートでクセのない緑茶らしい香りなのか、花やフルーツのような華やかな香りなのか、はたまたハーブやミルクのような特徴的な香りなのか。品種香と呼ばれる香りは、その品種しか持ち得ないユニークな香りです。

栽培方法によっては、特殊な香りが付加されたり、肥料によって香りが弱まったりします。

例えば、緑茶の被覆栽培によって付加される海苔のような香りは、「覆い香」とも呼ばれる高級茶の証ですし、紅茶の場合はあえてウンカという虫に茶の芽を吸わせ、「蜜香」と呼ばれる甘い香りを付ける栽培法もあります。

そして、お茶の香りを最も大きく変化させるのが加工。中でも、酸化発酵の工程がお茶の香りを左右します。

香りと色を生み出す酸化発酵

そもそもの話、緑茶も紅茶も烏龍茶も全て同じ茶葉から作られています。これらの水色や味わい、香りを変化させているのが、「酸化発酵」の工程です(お茶の世界では「発酵」と呼ばれますが、厳密にいえばこの発酵は微生物による発酵ではなく、酸化酵素による酸化に該当します)。

Freshly picked tea leaves beginning to darken as oxidizing enzymes activate, illustrating the moment that separates green tea from oolong and black tea

茶葉には酸化酵素が含まれており、摘採されたその瞬間からお茶の酸化が始まっています。カテキンが酸化することで、次第に茶葉の色が緑色から赤銅色に変化し、同時に様々な香気成分が作られていきます。

この酸化の度合いによってお茶の香りは変化し、烏龍茶や紅茶など、様々な種類のお茶に分岐していくのです。

香りのお茶のスペシャリスト、井村典生さん

井村さんが紅茶を作り始めたのは、およそ15年前のこと。

Imura-san in his Shimada factory during black tea production, largely self-taught over 15 years and now recognized at the Japanese Tea Awards and Domestic Black Tea Grand Prix

「その前は全然紅茶なんて作ったことなかった。親父も作り方わからんし、勉強するとこもないもん。でも武田先生って言って、品種の本書いてる人がいるんだけど。この人がすごい紅茶の作り方詳しくて、この人に少し教わった。」

最初は右も左もわからなかったと語る井村さん。時に独学で、時に学びながら試行錯誤を続け、近年では「日本茶アワード」や「国産紅茶グランプリ」で賞を受賞するなど、国内でもトップレベルの生産者として認められるようになりました。

Rolling machine at Imura Seicha applying pressure to cracked cell walls of withered tea leaves, accelerating oxidation and deepening the emerging aroma

Award certificates and competition recognition displayed at Imura Seicha, evidence of the farm's rise to national prominence in Japanese black tea production

Inside Imura Seicha during an active black tea batch, the factory air carrying a scent of apple and fresh-cut leaves as the leaves transform mid-oxidation


お伺いした日、ちょうど紅茶を作っていた井村製茶の工場からは、お茶が紅茶へと変化していく途中の、リンゴのようなフルーティーさと青葉のフレッシュさが入り混じったような素敵な香りが漂っていました。

Tea leaves resting in still air at Imura Seicha during full oxidation, turning from bright green toward reddish-black as floral aromatic compounds build layer by layer

「茶葉」が「紅茶」に変わるまで

これはちょうど、摘採した”やぶきた”を萎凋させている様子。緑茶の”やぶきた”にはない芳醇な香りが作り上げられ、まさしく酸化が進んでいる最中です。

萎凋が終われば、揉捻機にかけて茶葉を揉んでいきます。この工程によって葉の細胞壁が破壊され、さらに酸化が進みやすくなります。

Imura-san lifting oxidizing leaves and reading their scent by hand, relying on fifteen years of accumulated intuition to judge the precise moment to halt the process

その後は再び、静置しながらの酸化発酵。最初は鮮やかな緑色だった茶葉は、ここで赤黒く変化します。紅茶の色と香りが生まれ、時を経るごとに華やかな香りを放つようになる工程です。

そして、気温・湿度・芽の生育状況・摘採前の天気など、様々な要素によって変わる酸化のタイミングを見極めるのは、生産者さんの感覚頼り。1分単位、1度単位で変わっていくお茶の香りを、手にとって確かめながら、ベストなタイミングを見極めます。

紅茶の香りが、こうして丁寧に、繊細に作り上げられていること。井村さんが15年間で積み上げてきた技術の粋の一端を垣間見させていただきました。

工場中に漂う濃密なお茶の香りは、思わず頬も緩む、この場所だけの芳香です。

Rows of Sayamakaori and Saeakari cultivars at Imura Seicha grown for the farm's aromatic green tea project, a style begun just two years before our visit

新しい挑戦「香り緑茶」

2年前からは、”さやまかおり”と”さえあかり”の2つの品種で「香り緑茶」を作り始めた井村さん。

緑茶は「不発酵茶」とも呼ばれる通り、基本的には萎凋や酸化発酵を行わずに作られますが、それを敢えて行うことで、通常の煎茶には無い華やかな香りが付加された香り高い煎茶を作ることができます。

Icho sencha — wilted green tea — being processed at Imura Seicha, a style so new it has no settled name, with soft floral notes that conventional sencha cannot reach

「第3の煎茶」や「萎凋煎茶」と呼ばれることもあるこの新しいお茶。まだカテゴリー名すら定まっていないこのお茶は、似たようなお茶を作っている人も少なければ、そもそも正しいとされる作り方も確立されていません。

「最初は香り緑茶っていう風に、県の茶業試験場がやるようになって、うちでちょうどほぼ同じような設備があったんでやってみようかって。なんで、大した理由じゃないんですよ。」

香り緑茶を作り始めたきっかけをお伺いすると、笑いながらそう答える井村さん。静岡県で精力的に始まった香り緑茶の製造は、まだまだ生産者が少なく、師事するような人もいない状況。ほとんど独学で作っているのだそう。

井村さんの香り緑茶を飲んで驚いたのは、その完成度の高さ。

華やかな萎凋香と絶妙な苦渋味のバランス、舌に残る甘やかな余韻が素晴らしく、品種特有の香りが見事に引き出された2種類の香り緑茶。煎茶とも烏龍茶とも違う、うっとりするような優しい香りに、思わず心を奪われました。こんなにもおいしいお茶を、たった2年間で作りあげた井村さんの実力に、尊敬の念を抱かざるを得ません。

香りを活かす。新しいお茶づくりの可能性

茶畑を見ながら井村さんが話してくれた中で、忘れられない印象的な言葉があります。

Imura-san standing among the tea rows at his Shimada farm, speaking about Sayamakaori and Saeakari the way someone talks about long-misunderstood friends

「”さやまかおり”ねぇ、今までずっと嫌われてて。多収なだけで渋くて、あんまり茶商さんは好まなかった。最近は萎凋と被せにすごく向いてることがわかって見直されつつあるけど。」

「”さえあかり”は茶商さんからの評価が悪くてねぇ。豆感があんまり好きじゃないらしくて、緑茶としての評価はあんまり得られないと思う。」

“さやまかおり”も”さえあかり”も、緑茶用の品種ですが、どちらも一長一短の難しい品種です。

”さやまかおり”は収量が多く栽培がしやすい反面、渋味が強く、舌に残るエグ味から、煎茶としての品質はあまり高くありません。”さえあかり”は豆やとうもろこしに例えられる甘い香りが、それ単体で楽しむには良いのですが、合組(ブレンド)には適さないため、シングルオリジン以外では使いづらい品種です。

そんな使い所に悩ましい2つのお茶に、萎凋という新しいスポットライトを当て、見事に新たな魅力を引き出した井村さん。

思えば私たちも、合組で嫌われる個性的な香りや味わいを持った品種を、それ単体で味わうことで個性を楽しむ飲み方に魅了され、日本中の品種茶を集め始めました。

既存の枠組みでは評価されないお茶を、新しい方法で楽しむ。お茶の世界は年々変わっていて、これまで飲んだこともないお茶が毎年のように現れる。その激しい変化の真っ只中にいられることを、とても嬉しく思います。

「段々良くなってきた」と語る井村さんの香り緑茶。来年の井村さんが作るお茶はどんな素敵な香りなのか。それを考えて、私たちは期待に胸を膨らませています。

 

A finished cup of Imura Seicha's Japanese black tea, its dense sweet fragrance the product of fifteen years of self-taught craft on the Makinohara plateau

Yabukita leaves spread across withering troughs at Imura Seicha during the icho step, slowly losing moisture and releasing a mellow sweetness never present in green tea

井村さんが手がけるお茶は、FETCのオンラインストアでもお取り扱いしています。

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