目次
「うちの畑は古いずらけんな。けどうちの爺さんも親父も割合若くして亡くなったもんでな、昔の歴史ってのは聞かずにいたんだ。お茶の揉み方やら何やら教わった訳でもねぇし、とにかくやってみただけなんだよな。」
御歳79歳になる隆豪さんは、色濃く残る静岡弁で自身のお茶作りをそう振り返ります。80を手前にしてまだまだ現役。巧みに軽トラックを操って畑に向かうその姿からは、隆豪さんがお茶と向き合ってきた歴史を感じます。
今回は静岡県藤枝市で長年お茶作りを行う、中山製茶さんを訪ねました。
銘茶の産地・藤枝市。中山さんのお茶作り
静岡県藤枝市は県の中腹に位置し、安倍川と大井川という豊かな水源に挟まれた、古くからお茶作りが盛んなエリア。その地形柄、市内の茶園のほとんどが山間部にあり、川が作った肥沃な土壌と昼夜の大きな寒暖差を活かして作られる香り高いお茶が作られる地域です。
中山さんの茶畑も、そんな急勾配の山中に広がっています。
ガタガタの軽トラで向かう、どこまでも空に近い茶畑。
「これ(レンタカー)じゃちょっと行かれねぇな」と、軽トラックの助手席に乗せてくれた中山さん。ご自宅から軽トラを走らせること数分、出発前に仰っていたことの意味がわかりました。
山中の道がとにかく粗い…!道幅は車一台が辛うじて通れるくらい。傾斜も険しく、粗い山道をガタガタと、インディー・ジョーンズのように進みます。
歩いて登るのも厳しいくらいの急勾配。
標高が400mに達した頃、思わず息を呑みました。
眼下に広がる空と山々とお茶畑。聞こえるのは鳥の声と風が揺らす木々の葉鳴りだけ。雲が山肌に影を落とし、日向と日陰の境界線がゆっくりと動く様子をしばらく眺めていると、冷たい空気が身を切って、自分が1月の、それも標高400mの山中にいることを思い出しました。
右を見ても左を見ても、目に写るのはお茶と山と空ばかり。その景観のあまりの素晴らしさに、我を忘れて佇んでしまいました。
「今は3丁歩くらいで、今年また1丁歩くらい増やすんだよ」
1丁歩は大体1ha。この辺りでは山間部に畑を作るため、一つ一つの畑は決して大きくありません。畑と畑の移動は全てあの軽トラック。中山さんの運転が巧みな理由がよくわかりました。
畑を増やすのも、もちろん簡単じゃありません。重機を入れて山の一部を切り拓き、切り倒した木を運び出します。
残った切り株は抜根し、畑として使える状態にまで整備するのはすごく大変な作業なんだとか。
中にはこんなに大きな切り株も。
今でこそ、この大きさの茶園を管理し、精力的に畑を拡げながらお茶作りを行う中山さんですが、茶園同様、彼の農家としての歩みは決して平坦なものではありませんでした。
超個性派品種。藤枝かおりの歴史。
「藤枝かおり」はその品種名からも分かる通り、藤枝市で生まれた品種です。「やぶきた」と「印雑131」の交配から生まれた品種で、20年ほど前、藤枝市の特産品を作ろうと、積極的に作り始められたそう。
そんな藤枝かおりですが、その数年後にはほとんどの生産者が生産を辞めてしまいました。その理由は静岡県の伝統的なお茶作りにあります。
やぶきたが主流?静岡県のお茶作り
静岡県は古くから日本最大のお茶どころとして、日本の茶業界をリードしてきました。現在日本で最も多く作られている品種「やぶきた」が誕生したのも、ここ静岡県。1950年代に、その高い品質と育てやすさから全国の茶農家に爆発的に普及した「やぶきた」は、現在も全国の生産量の7割以上を占め、静岡県に限って見れば9割以上のシェアを占めています。つまり静岡県のお茶作りは正に緑茶の王道。やぶきたを中心としたお茶作りが行われているのです。
藤枝かおりはブレンドの邪魔者?
お茶は年ごとの品質を安定させるため、仕上げの最終段階で合組(ブレンド)がされます。複数品種をバランスよく組み合わせ、旨味や渋味を補い合いながら、理想の味を作り上げていくのです。
ところが「藤枝かおり」はその名の通り、香りが特徴的な品種。フワッと広がる花のような香りは単体では素晴らしいものの、やぶきたを中心に据える静岡県の合組にはそぐいませんでした。品種の最大の個性であり長所でもある香りが、合組には使いにくいお茶と見做されてしまったのです。
藤枝かおりに賭けた男
周りの生産者が藤枝かおりの栽培を次々と諦めていく中、中山さんはひたむきに藤枝かおりの可能性を信じていました。
藤枝かおりが発表された際のイベントでのことを、中山さんはこう語ります。
「そん時俺な、芽をこっそり噛んでやったのよ。そしたらこれは中々面白いお茶だと思ってよ。したらよしやるって気になって。皆5畝だ1反だってな小さく始めたのをな、俺ん時は大々的に一丁歩分くらいやったんだよ」
15年ほど前から藤枝かおりの栽培を始めた中山さん。普通、茶の木がしっかり収穫できるようになるまで育つには5年の歳月がかかります。つまりその間、その畑からはお茶が一切収穫できません。
自身の畑の3分の1程度を改植し、売れるかどうかも分からない新しい品種を育てるのは、途轍もないチャレンジだったはずです。他の生産者が続々と生産を辞めていく中、彼らの株をあちこちから集め、自身の畑に植えたそう。
「俺はこの藤枝かおりを助けたんでな、藤枝かおり絶対俺を助けてくれよなって。」
それは祈りに近かったのかもしれません。実は中山さんのお祖父さまとお父さまは若くして亡くなられてしまっており、ノウハウも少ない中、隆豪さんが畑を継ぐことに。いろんな方のサポートもあり生産は軌道に乗りましたが、経営は厳しく、起死回生の一手として藤枝かおりを始めたのだとか。
爽やかな渋味と華やかな香り、個性が光る品種
「とにかく我武者羅にやった」と語る中山さん。そんな彼の勇気と努力の甲斐あって、中山さんの藤枝かおりは、他にはない素晴らしい香りを持つ、本当に美味しいお茶となりました。
黄金色に近い、淡い黄緑色の水色。味わいをキュッと引き締める爽やかな渋味。そしてジャスミンや桜餅のような華やかな香り。その独特の香りは、確かにブレンドには向いていません。けれども品種茶としては抜群の個性を持つ藤枝かおり。僕らが中山さんと出会えたのはほとんど偶然でした。
実は僕らが最初に出会ったのは、藤枝かおりが品種として登録された当初から、この品種の育成に力を注いできた山本農園さんでした。山本さんの藤枝かおりを初めて飲んだ時、これこそ僕らが探していた品種茶だ!と喜んだのも束の間、山本さんはご高齢から、去年で生産を辞めてしまったのだそう。
そして何を隠そう、その山本さんからご紹介いただいたのが中山さんでした。中山さん自身、藤枝かおりの栽培法や製法を山本さんに師事していたらしく、繋がりがあったのだとか。
ネットで検索してもほとんど情報の出てこない中山さんと僕らを繋げてくれたのは、他ならぬ藤枝かおり。中山さんの人柄、茶園の美しさ、そしてこんなエピソードもあり、この日から藤枝かおりは、僕らにとって少しだけ特別なお茶になったのです。
FETCにとって少しだけ特別なお茶。中山さんの藤枝かおりを味わってみてください。
80歳を目前にしてまだまだ現役の隆豪さん。中山製茶自体は、既に息子の隆豪さんが継いでいて、畑には一緒に出るんだとか。さらにはお孫さんも現在はお茶の学校に通っているそうで、中山製茶のお茶作りはまだまだ広がっていくのだと思います。
藤枝かおりは、日本でもほぼ藤枝市でしか作られていない貴重な品種。こうして僕らが、中山さんが農家人生を賭けて作り上げた藤枝かおりを販売できるのは、ほとんど奇跡のようなものだと思っています。この美味しさを、是非皆さんにも味わってみてください。