August 02, 2020
世界のお茶の歴史|中国

お茶の生産量・消費量がともに世界第一位の「お茶大国」、中国。

今回は、そんな中国におけるお茶の歴史を時系列に沿ってご紹介していきます。

中国のお茶の歴史

ここでは、中国のお茶の歴史を時系列に沿って見ていきましょう。

唐時代(618〜907年)

お茶を飲む習慣は唐の時代に中国全土に広がりました。

とはいえ、庶民は高級品であったお茶を飲むことができず、主に皇帝への献上品や貴族階級が飲むものとしての認識が一般的でした。

また。この頃のお茶の主流は、「餅茶」という固形茶だったと言います。

餅茶というのは蒸した茶葉を固めたもので、火であぶってから熱湯に入れて飲みます。

ちなみに、遣唐使などを通じて日本に初めて伝来したのもこの餅茶でした。

『茶経』の発祥

同じく唐の時代、世界最古の茶書である『茶経』が執筆されます。

『茶経』を著したのは、文人であり、茶道の元祖とも言われる陸羽。

茶の起源や製造法、歴史、産地など、茶にまつわるあらゆる情報が詰め込まれています。

また、ここではお茶は単なる飲料としてではなく、「行いが優れており、人徳のある人物が飲むべきものである」と説かれています。

宋時代(960〜1279年)

宋の時代になると、貴族や役人だけでなく、富裕層の庶民もお茶を飲むようになります。

この時代、唐代に主流だった餅茶の製造法がやや複雑になり、「団茶」と呼ばれるようになりました。

また、日本では鎌倉〜室町時代に行われていた「闘茶」の文化が盛んになったのもこの頃でした。

闘茶というのは、お茶を飲み比べることで産地や良し悪しを判別する一種のゲームです。

茶器の発展

宋の時代には、茶器がお茶を楽しむための重要な道具として認識されはじめました。

そのため、茶の色を楽しむための白磁や、器自体の色を楽しむための青磁などを作る技術が発展していきました。

明時代(1368〜1644年)

明の時代には、さらにお茶が民衆の文化に浸透し、お金持ちだけではなく庶民もお茶を飲むようになります。

団茶は製造に手間がかかる上、味もそれほど良くなかったことから、明代では臼などで茶葉を細かく砕いて作られる「散茶」というお茶が主流になっていきました。

団茶と比べて、味も香りも大きく向上したため、広く普及したと言われています。

また、明代までの急須は鉄や銀製のものが主流でしたが、この時期には陶製の急須が作られて用いられるようになりました。

清時代(1616〜1912年)

清時代は、中国の歴史の中でお茶が最も栄えた時代でした。

現代のわたしたちにも馴染み深い烏龍茶が福建省で開発されたのもこの時代です。

また、茶器にこだわり、ゆっくりと時間をかけてお茶を楽しむ文化も生まれました。

ここでは、そんな清時代のお茶文化や時代背景をいくつかご紹介していきます。

多様な茶の楽しみ方の形成

清の時代は、お茶の楽しみ方が多様になった時代でもありました。

各地で特色ある銘茶が生まれ、市場には六大茶(青茶・黒茶・緑茶・紅茶・白茶・黄茶)が販売されていました。

また、浙江や江蘇の人々は緑茶を、北方の人々は花茶を好んで飲むというように、地域ごとに好まれるお茶も異なっていたようです。

イギリスに対する紅茶の輸出

清時代の特徴として、紅茶を大量に生産していたことが挙げられます。

特に清朝によって1685年にヨーロッパ諸国の通商が許可されてからは、対外向けに大量の紅茶が輸出されることになりました。

その最大の貿易先となったのがイギリスで、清にとって紅茶は銀を獲得するための大きな手段となっていました。

ただ、イギリス側が大量のお茶を輸入していたのに対し、中国側はそれほどイギリスからの輸入を行わなかったため、著しい貿易の不均衡が発生。

そこでイギリスはアヘンを中国に売りつけることで銀の回収を試み、それがきっかけとなって有名な「アヘン戦争」が勃発することになります。

このように、当時の中国はお茶によって国内の情勢が左右されるほどの産出量を誇っていたのです。

現代

現代の中国におけるお茶は「国飲」として位置付けられており、国民的な飲み物として親しまれています。

その生産量・消費量はともに世界一で、現代の中国はまさに「お茶大国」と言えるでしょう。

また、大阪観光大学観光学部の王静氏によれば、「中国で最も飲まれているのは烏龍茶やジャスミン茶ではなく、緑茶だ」とのこと。

中国の緑茶は日本のお茶とは異なり、蒸さないで釜で炒る製法をとっているため、日本よりもすっきりとした味わいになっているのが特徴です。