日本のお茶の産地
世界の中で、第10位のお茶の生産量を誇る日本。生産量自体はそこまで大きくはないものの、日本の緑茶は世界中に愛好家がおり、「日本茶」のブランド力は世界に健在です。
国内の各所には、「お茶の名産地」と呼ばれる場所が多々あります。ここでは、都道府県のお茶の生産量や、それぞれの産地の特徴などをご紹介します。
日本のお茶の産地
日本には、静岡県をはじめとするお茶の名産地が多々あります。
ここでは日本全体のお茶の生産量や、都道府県別の生産量などを見ていきましょう。
日本のお茶の生産量
2020年、天候の影響で一番茶の生産量が伸び悩んだり、新型コロナウイルスの影響で二番茶の生産が行われない地域が多かったりと、荒茶生産量が激減しました。
新茶関連のイベントが中止になったり、茶市場での価格の下落が原因で二番茶を作っても赤字になってしまう生産者が多かったりと、新型コロナウイルスが茶業に与えた影響は計り知れません。
都道府県別の生産量
2020年現在、日本では41の都府県でお茶が作られています。
ただし、お茶は寒冷地では育ちにくい農作物なので、新潟県や茨城県より北の地域では商用での栽培はほとんどされていません。
中でも最も生産量が多いのは静岡県と鹿児島県で、それぞれ日本全国の生産量の約36%、34%を占めています。
長年生産量トップを誇っていた静岡県ですが、近年は鹿児島県がその生産量を大きく伸ばしており、2021年にはその順位は逆転するのではないかとも言われています。
ちなみに、2020年の茶の産出額では鹿児島県が静岡県を初めて上回り、鹿児島県の茶業がいかに成長しているかがよくわかります。
3位以降には、三重県、宮崎県、京都府、福岡県が続きます。
都道府県別の作付け面積
2020年現在、都道府県別の作付け面積が最も大きいのは静岡県。
15,200ヘクタールもの土地でお茶が作られており、2位以降を大きく引き離しています。
2位以降は鹿児島、三重、京都、福岡がランクインするなど、基本的に生産量と作付け面積は相関しています。
鹿児島県の生産量が作付け面積に対して非常に大きいのは、その温暖な気候から二番茶・三番茶・秋冬番茶など、お茶が作れるシーズンが長いためです。
都道府県ごとの特徴
静岡県
静岡県は、上述した通りお茶の生産量・作付け面積が共に日本一の都道府県。
牧之原大地や愛鷹山、天竜川流域の山間部など、良質なお茶づくりに適した土地が多々あるのが特徴です。
ただし、茶業の経営の悪化や、後継者不足などの問題が起こってきているのもまた事実です。現在では、そのような状況を打開すべく、お茶を利用して観光客を呼び込む「グリーンツーリズム」などを展開しています。
鹿児島県
鹿児島県は、日本第2位のお茶の生産量を誇るお茶どころです。
南九州市や志布志市で行われる、温暖な気候と広大な平野部を利用し、後発地域としてのメリットを最大限享受した効率的なお茶作りが特徴的です。
それ以外にも、霧島市などの昼と夜の寒暖差が大きい山岳地帯の特性を生かした香り高いお茶など、県内のあらゆる地域で多様な味わいのお茶づくりを行なっています。
三重県
三重県で栽培されるお茶は「伊勢茶」とも呼ばれ、およそ1,000年もの長い歴史を持っています。
江戸末期から明治初期にかけて、お茶の輸出によって外貨を得るという重要な役割を担っていた地域でもありました。
現代では、茶園に覆いを被せて栽培する「かぶせ茶」の生産量が日本第1位の地域です。
宮崎県
宮崎県は、江戸時代からお茶の名産地として知られていた地域です。現在では日向市、都城市など、広大な土地を活かしたお茶作りが行われています。
また、五ヶ瀬や高千穂には山間部に作られた畑が多く、寒暖差を利用して作られる香り高いお茶が作られています。通常の煎茶とは違い、殺青を蒸しではなく釜炒りで行う「釜炒り茶」の製造が盛んな地域でもあります。
山間部の寒さにも耐えうる「きらり31」という品種のお茶の育成や、新型の製茶機の共同開発など、茶業の支援に積極的に取り組んでいます。
京都府
伝統的なお茶の産地として知られている京都府ですが、その基盤を作ったのは室町時代の3代将軍、足利義満。宇治茶のあまりの美味しさに惹かれた彼は、「宇治七名園」というお茶の名産地を切りひらいたと言います。
また、品質を重視する宇治茶の製法は現代の機械製茶にも受け継がれており、手揉みの工程をベースとして製造されているのが特徴です。
福岡県
福岡県のお茶は甘くて深みのある味わいが特徴的です。
八女で作られるの伝統本玉露は昔ながらの稲わらを使用して栽培されており、全国茶品評会で10年連続農林水産大臣賞を受賞している実績があります。
奈良県
奈良県は、「大和茶」というお茶の生産地です。大和茶は806年に始まったと言われており、およそ1,200年もの間受け継がれてきたことになります。
月ヶ瀬など、山間部に作られた畑が多く、厳しい寒さの中で作られる自然で優しい味わいのお茶が特徴的です。またその寒さから、国内でも最も一番茶の摘採が遅い地域の一つでもあります。
元々は煎茶やかぶせ茶、番茶などの生産が主でしたが、近年では抹茶の原料である「碾茶(てんちゃ)」の生産も行なっています。
佐賀県
佐賀県はお茶の名産地「嬉野」を擁する都道府県で、全国第8位の生産量を誇っています。
嬉野茶は、茶葉の香りや旨味が強いのが特徴のお茶。また、宮崎同様古くから釜炒り茶の製造が続いている地域でもあります。
幕末には輸出品として大量にイギリスに輸出されていた歴史があります。
埼玉県
埼玉県の狭山茶は、静岡茶・宇治茶と並んで日本三大銘茶に数えられる銘茶。
緑茶を栽培している中では北限に近い地域で、寒い冬を乗り越えることで力強く濃厚な味わいに仕上がることが特徴です。
寒冷な環境が原因で年2回しか収穫できないものの、品質や貯蔵性が非常に優れているのが魅力です。
岐阜県
岐阜県は、「美濃茶」と呼ばれるお茶の産地です。
3,000m級の山々を多く擁する恵まれた環境で、豊かな香りや味を持つお茶を栽培しているのが特徴です。
現代では、西美濃地域の「美濃いび茶」、美濃中央地域の「美濃白川茶」が二大銘柄として販売されています。
日本のお茶の産地|埼玉県
埼玉県のお茶の生産量は国内生産量の約1%ほど。決して生産量の多い都道府県ではありませんが、埼玉県で作られる「狭山茶」は、「静岡茶」「宇治茶」と並ぶ日本三大茶に数えられており、日本有数の銘茶の産地として知られています。
埼玉県のお茶、狭山茶の特徴
埼玉県、特に狭山は、私たちから見ても少し変わった茶産地です。
今回はそんな狭山茶の特徴を、毎年日本全国数十件の生産者とお会いする私たちの目線からご紹介します。
「味」の狭山茶
古くから歌われる歌に、「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」という一説があります。
日本三大銘茶の静岡茶、宇治茶、狭山茶の特徴を表した歌で、ここで歌われる通り、狭山茶はその味わいが素晴らしいお茶です。
その理由は土質と寒冷な気候。
関東ローム層の水はけの悪い土が堆積した狭山エリアでは葉肉が厚く育つため、他地域のように、針のようにピンと伸びた美しいお茶は作りづらいというデメリットがあります。
ですが裏を返せば、葉肉が厚い分栄養もしっかりと蓄えられており、二煎目三煎目まで出してもしっかりと味が残るのが、狭山茶の特徴です。
土質から生まれる力強い味わいは、古くから評価されてきた狭山茶の1番の特徴なのです。
自製自園自販の生産者が多い
狭山の生産者は、自分たちで作った茶葉を自分たちで仕上げ、自分たちで販売までを行う、自製自園自販の生産者が多いのが特徴的です。
都心部に近い狭山では、茶園の面積が大きく取れないため小規模な生産者が多く、生産者一戸あたりの栽培面積は主要産地中で最も小さくなっています。そのため、店舗やネットショップを構えて自社で販売を行ったり、地元の直売所や商業施設で販売するなど、自身で販売までを完結する生産者が多いことが特徴です。
そして、自身で販売をするということは、茶商や茶市場のしがらみがなく、消費者のニーズを直接窺いながら自由なお茶作りができるということでもあります。
紅茶や烏龍茶を作る生産者もいれば、通常の煎茶の工程にはない「萎凋」を行い、香りを引き出した煎茶を作る生産者もいて、それぞれの個性を活かしたお茶が作られる地域なのです。
狭山茶の真髄、狭山火入れ
狭山茶について度々耳にするのは「狭山火入れ」という言葉。これは狭山茶に伝わる伝統的な火入れの技術のことで、狭山茶の味わいと香りはこの技法によって作られていました。
まだ火入れ機がなかった時代、火入れは「焙炉」でという機械を使い、手作業行われていました。通常は焙炉に山盛りにしたお茶を、天地返しにしながら火入れ(乾燥)をさせますが、葉肉が厚い狭山のお茶は乾燥がしづらいというデメリットがあります。そこで、焙炉にお茶を擦り付けなら、お茶の表面に傷をつけることで、水分が出やすいように火入れを行うのです。
そうして生まれたお茶は表面が白っぽくなり、しっかりと水分が抜けているため、長期輸送でも品質が変わらず、海外での評価も高かったそうです。
火入れ機を使うことが一般的な現在では、「火入れが強い」ことが狭山火入れだとも言われており、時代とともに言葉の意味合いも転じてきています。
埼玉県のお茶づくりの歴史
埼玉県のお茶づくりは比較的後発で、鎌倉時代、川越に明恵上人がお茶の木を植えたことがきっかけで始まったといわれています。
南北朝時代には、埼玉県のお茶は「河越茶」として親しまれており、この頃から東国のお茶の産地として知られていました。
埼玉県で本格的にお茶の栽培が行われるようになったのは、江戸時代後期。
入間市宮寺の吉川温恭、村野盛政が京都・宇治の製法を取り入れて、蒸製煎茶の量産に成功しました。次第に県の特産物としてお茶の栽培が盛んになり、栽培地域も広がっていきました。
明治時代には、輸出のために河越茶は「狭山茶」というブランドに統合され、現在も埼玉県を代表する農作物となりました。
埼玉県のお茶の産地
埼玉県のお茶の栽培地域は県全体に点在していますが、主な栽培地域は入間市周辺の狭山茶の栽培エリアです。
味でとどめさす日本三大銘茶「狭山茶」
埼玉県西部にある狭山市、入間市、所沢市を中心に作られているお茶が「狭山茶」です。
狭山茶という名称ではありますが、狭山市より入間市での栽培が盛んで、これは入間市の雨がおおく、水はけの良い立地がお茶の栽培に適しているためです。
「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」という茶摘み歌もあるほど、その深い味わいが評価されています。
日本のお茶の産地|京都府
お茶の産地として有名な京都府ですが、意外にも生産量は静岡・鹿児島・三重・宮崎に次いで第5位の都道府県です。
平成30年の生産量は3,070トンと、国内生産量の3.6%程度。
ですが、玉露や抹茶など、お茶の中でも特に上級茶とされるお茶に関しては、大きいシェアを占めています。
”やぶきた”を中心として”鳳春”、”うじみどり”、”きょうみどり”、”あさひ”、”うじひかり”、”展茗”、”さみどり”などの奨励品種があり、さまざまなお茶が栽培されています。
京都府のお茶づくりの歴史
京都でお茶が作られるきっかけとなったのは、明恵上人という鎌倉時代の僧。鎌倉時代に中国から伝わったお茶を、いまの京都市右京区にある栂尾の高山寺と宇治に蒔いたのが始まりだといわれています。
高山寺には、いまも「日本最古之茶園」の碑が立っています。
室町時代には、足利義満が「宇治七名園」と呼ばれる茶園を自ら作り、お茶の栽培を奨励しました。宇文字園・川下園・祝園・森園・琵琶園・奥の山園・朝日園の七つの茶園が作られましたが、現存しているのは宇治善法の奥の山園のみとなっています。
16世紀後半になると、宇治で現在の「被覆栽培」が開発されました。
これにより、濃緑色のある旨味の強い茶が作られるようになり、宇治は国内でも銘茶の産地として認められるようになりました。
江戸時代には永谷宗円が、「青製煎茶製法」や「宇治製法」とも呼ばれる製法を完成させました。これは茶葉を乾燥させながら揉むという日本独自の製法で、これによって「煎茶」が生まれ、宇治は「日本緑茶発祥の地」といわれるようになりました。この製法は現在においても、日本茶製法の主流の製法です。
江戸時代後期には、被覆栽培で作られた茶葉を宇治製法で仕上げる「玉露」が生み出され、文化人の間で広く飲まれました。
古くから銘茶の産地として認められていた京都は、現在においても茶の名産地としてのイメージが強く、府をあげて茶園の景観維持、お茶産業の振興、お茶文化の発信などが進められています。
栽培している地域
京都でお茶が栽培されているのは、山城地域という、京都府南部のエリアです。この地域には宇治市、宇治田原町、和束などが含まれています。
ここが、京都府における主なお茶の栽培地域です。
京都府のブランド茶といえば「宇治茶」。宇治茶は「静岡茶」「狭山茶」と共に、日本三大茶として高い評価を得ています。
宇治茶
宇治市とその周辺で作られるお茶です。
平均気温、年間雨量、昼夜の寒暖差などから、宇治周辺はお茶づくりにぴったりの地域といわれています。
宇治茶は碾茶(てんちゃ)と玉露が中心ですが、煎茶も作られています。
碾茶とは、抹茶の原料となるお茶をいいます。そのため、宇治は抹茶の産地としても広く知られています。
日本のお茶の産地|三重県
三重県は、意外にも国内第3位の茶生産量を誇る都道府県です。
第1位の静岡県、第2位の鹿児島県に比べると差はあるものの、2020年の生産量は5,080トンと、日本全体の7%ほどが作られるお茶どころです。
三重県内で生産されたお茶は、総じて「伊勢茶」と呼ばれ、三重ブランド認定品のひとつになっています。”やぶきた”を筆頭に”さやまかおり”、”おくみどり”、”さえみどり”などの品種が主に栽培されています。
三重県のお茶の特徴
三重県では、古くから県内の至る所でお茶が作られてきました。
地域によって差異はありますが、毎年日本全国数十件の生産者とお会いする私たちが感じる三重のお茶の特徴をご紹介します。
日本一のかぶせ茶の産地
かぶせ茶とは、摘採の1週間ほど前から被覆栽培を行って作るお茶のことで、三重県はこのかぶせ茶の生産量日本一を誇ります。
被覆栽培を行うことで、茶葉の旨味が濃くなり、渋味が抑えられ、「覆い香」と呼ばれる海苔のような香りが付加されます。この「覆い香」は高級茶の証とされ、手間と時間をかけて丁寧に作られるかぶせ茶は、玉露に次ぐ高級茶としても知られています。
原料茶の生産量日本一
近年、海外でも人気が高まりつつあるお茶フレーバーのドリンクやお菓子。実は、こういったアイスクリームなどのスイーツで利用される加工用原料茶の生産量は、三重県が日本一。
今後も原料茶の需要は高まっていくと考えられていますが、海外から廉価な原料茶が輸入されていたり、年々お茶の市場価格が下がっていることもあり、三重県としても新たなお茶の価値や商品開発に力を入れています。
日の目を浴びない影のお茶
三重県のお茶は、非常に美味しいのにも関わらず、ブランド茶としての名声は決して高くありません。
その理由は、京都や静岡など、他県の茶商に買われ、ブレンド茶として利用されることが多かったため。(三重県で生産がされ、静岡県で最終の仕上げがされたお茶は「静岡茶」として販売されるため。)
また、原料茶としての出荷が多く、「三重のお茶」として消費者の目に触れる機会が少ないのも理由の一つです。
近年では、「伊勢茶」としてのブランドを確立することが喫緊の課題とされています。
三重県のお茶づくりの歴史
三重県でのお茶の歴史は非常に古く、最も古い記録では、西暦900年の初め頃、今の四日市市水沢町一乗寺でお茶が栽培されていたという記録が残っています。
鎌倉時代に茶の栽培を国内に普及した明恵上人が、茶の種を植えたのが伊勢川上であることからも、伊勢茶の歴史が深いことがわかります。
江戸時代の終わりごろには、水沢町にある常願寺の住職・中川教宏が宇治からお茶の種を持ち帰って、お茶の栽培を広めて、産業としての発展に寄与しました。
このように長い歴史と全国3位の生産量を誇る三重県ですが、残念ながらそのことはあまり知られておらず、「伊勢茶」としてのブランドもまだ確立されていないという課題を抱えています。
三重県のお茶の産地とブランド茶
南北に長く伸びる三重県は、ほとんどの地域で温暖な気候を持つ都道府県です。
年間平均気温は14〜15度。雨が多く、水はけの良い土質は、お茶の栽培に適した地域だと言えます。
三重県内で生産されるお茶は全て「伊勢茶」というブランド茶に内包されますが、その中に、大きく分けて北勢地域と中南勢地域という生産地があります。
北勢地域
鈴鹿市、四日市市、亀山市を中心とした北勢地域では、三重県全体のおよそ7割のお茶が作られており、煎茶・かぶせ茶・碾茶(抹茶の原料茶)の生産が盛んです。
鈴鹿山脈の麓、豊かな水源と緩やかで水はけの良い傾斜地に恵まれたこの地域はお茶作りに適しており、良質なお茶が作られている地域です。
中南勢地域
松坂市、大台町、度会町を含む中南勢地域では、谷あいの傾斜地や、川沿いの平地を利用して良質な煎茶、深蒸し煎茶が多く生産されています。
日本のお茶の産地|静岡県
日本のお茶の産地といえば、まず思い浮かぶのが静岡県。
宇治茶・狭山茶と並び、日本三大銘茶にも数えられる静岡茶は古くから重宝され、国内有数のお茶どころとして知られています。
静岡県は地勢・水質・気候など、お茶の栽培に適した地域が多く、都道府県別のお茶の生産量は日本トップクラス。日本のお茶の40%弱が作られている茶産地です。
煎茶、特に深蒸し煎茶が多く生産されており。品種としては”やぶきた”が主流ですが、それ以外にも”おくひかり”、”山の息吹”、”香駿”、”つゆひかり”、”やまかい”など、バラエティーに富んだ品種が栽培されています。
今回は、そんな静岡県のお茶づくりの歴史や産地をご紹介します。
静岡茶の特徴
国内最大のお茶どころ静岡県では、色々な種類のお茶が、県内の至るところで作られています。
地域によって差異はありますが、毎年日本全国数十件の生産者とお会いする私たちが感じる静岡のお茶の特徴をご紹介します。
香り高い山のお茶と、平野部で作る深蒸しのお茶
本山・川根・天竜など、古くから続くお茶の産地は山間部に広がっており、山の気候を活かした香り高いお茶が多く作れられています。
山間部の大きな寒暖差や、川に近く霧が出ることで、栄養をたっぷりと蓄えながら、柔らかく育つ山のお茶は、浅蒸しで仕上げられることが多く、ピンと伸びた美しい茶葉は高級茶としての風格も備えています。
それに対して、広大な平野部を誇る牧之原台地は、深蒸し茶発祥の地でもあります。
深蒸し茶は蒸し時間が長い分、茶葉が細かくなり、渋味も抑えられるため、淹れる際に味が出やすい、コクのある味わいが魅力的なお茶です。
淹れる際には色味が出やすく、味も安定することから一般消費者の人気が高まり、現在では主流のお茶です。
県内に多くの茶産地がある静岡県ですが、大きく分けるとこの2つのお茶作りを行う方が多い印象です。
静岡のお茶は”やぶきた”が主流?
日本全国で生産されるお茶の内、7割以上を占める”やぶきた”ですが、静岡県は特にその生産量が多いエリアです。
”やぶきた”は、茶の品質改良の父とも呼ばれる杉山彦三郎が1908年、現静岡市駿河区で発見した品種で、比較的栽培がしやすく、煎茶としての品質も極めて高い緑茶向け品種です。
1945年に静岡県の奨励品種となったことがきっかけに全国的に普及し、現在でも国内生産量のシェアの大部分を占めています。
国内でもいち早く”やぶきた”の栽培に着手した静岡県では今でもそのシェアが非常に強く、栽培面積の9割程を占めています。
近年では、当時植えられた”やぶきた”が改植のタイミングを迎えており、バランスの良い晩生品種である”おくみどり”や、華やかな香りが特徴の”香駿”、旨味と桜葉の香りが人気の”つゆひかり”など、様々な品種が作られ始めています。
静岡県のお茶づくりの歴史
静岡県でお茶の栽培がはじまったのは、鎌倉時代に僧の聖一国師が、留学先の宋からお茶の種を持ち帰ったことがきっかけです。
聖一国師は駿河国の生まれで、故郷に近い駿河足窪(今の静岡市足久保)にお茶の種を植えたそうです。このことから聖一国師は「静岡茶の祖」と呼ばれていて、誕生日の11月1日は静岡市の「お茶の日」に定められています。
江戸時代になると、静岡県のお茶(本山茶)は御用茶として徳川幕府に納められるようになり、将軍御用達となったことで静岡のお茶は銘茶として広く認められるようになりました。
明治時代には、山間部に多かった栽培地を台地にまで広げ、牧之原台地を開墾したことにより生産量が大幅に拡大。明治時代の半ばには、その生産量は日本最大となり、名実ともに日本を代表するお茶の産地となりました。
やがて機械による大量生産が普及し、全国的にお茶の生産量が伸びた今日においても、静岡県は日本トップクラスの生産量を誇っています。
ですが近年では、茶業の不振や山間部の農作業の難しさと後継者不足から、廃業に追い込まれる生産者も多く、生産量は伸び悩んでいます。
鹿児島県と覇権を争う静岡県のお茶
長年、全国一位の座を守り続けてきた静岡県ですが、ここ数年、鹿児島県の生産量が急速に伸びており、その座を脅かしています。
2020年の生産量は、静岡県が25,200トン、鹿児島県が23,900トンと既に肉薄しており、近い将来、順位が逆転するのではないかと言われています。
その理由は大きく2つ。
一つは、鹿児島が広大な平野部と後発地域としての強みを活かし、機械化・効率化によって生産量を急速に伸ばしていること。
そしてもう一つは、静岡県の茶畑の立地と後継者不足です。
山間部の多い静岡県では、農耕機械を導入できず、農作業の効率化が進められない畑が非常に多いことが課題とされています。
危険と負担の大きい農作業は、慢性的な後継者不足の原因ともなっており、茶業全体の不振と相まって、静岡県全体の茶生産が伸び悩む原因となっています。
静岡県のお茶の産地
静岡県では、県内のあらゆる地域でお茶が栽培されています。
特に生産量が多いのは、明治時代に開墾された牧之原台地のある牧之原市・島田市・掛川市などで、大井川・天竜川の上流域の、気候や水質に恵まれた山間部での栽培も盛んです。
栽培している地域ごとに個性あるブランド茶が作られていることも、静岡茶の魅力の一つ。以下のようなブランド茶が全国的にも有名です。
香り高い山のお茶「川根茶」
「川根茶」は、静岡県の中部を流れる大井川の上流域、川根本町で作られるお茶です。
山間部の標高の高い地域で作られたお茶は、水質や日照条件に恵まれ、香り高いお茶に仕上がります。日本茶業界で初めて「天皇杯」を受賞するなど、上質な高級茶として高い評価を受ける茶産地です。
浅蒸し特有のピンと伸びた茶葉。薄く澄んだ黄緑色の水色。さわやかな香りと旨味のある味わいが楽しめます。
歴史と伝統の御用茶「本山茶」
静岡県の中部を流れる安倍川の上流域で作られる「本山茶」。聖一国師がお茶の種を植えたのもこの地域だと言われており、静岡で最古の歴史を持つお茶です。
江戸時代にはその高い品質から、徳川家に献上される御用茶としても選ばれていた、歴史と伝統のある茶産地です。
急峻な山間に広がる畑では朝夕の川霧が天然のカーテンの役割を果たし、旨味をたっぷりと持った柔らかい葉が育ちます。
川根と同様、香り高い浅蒸しのお茶は、「金色透明」と呼ばれる水色を誇り、山間地特有の香りと、口当たり良くさわやかな味わいが楽しめます。
深蒸し茶発祥の地「掛川茶」
静岡県の西部に位置する掛川市は、深蒸し煎茶の発祥地のひとつとして知られています。
温暖な気候により葉が厚く育つ掛川のお茶。その苦渋味を抑えるために、通常よりも長い時間蒸しを行う深蒸し製法が考案されました。現在でも掛川市で作られているお茶の大部分が深蒸し煎茶です。
水色は濃く、甘味・旨味の濃厚なコクのある味わいのお茶です。
牧之原台地が跨がる、深蒸し茶の一大山地。島田市・牧之原市・菊川市
明治維新期に、中條景昭を筆頭に徳川藩士らによって開墾された牧之原台地では、掛川市同様深蒸し茶の生産が盛んです。
牧之原台地は島田市・牧之原市・菊川市に跨がっており、牧之原大地の開墾以降、多くの生産者がお茶作りを続けてきました。
濃い水色とコクのある味わいの深蒸し茶の一大産地です。
“藤枝かおり”の故郷。険しい山間部が広がる藤枝市
ジャスミンやシナモンのような香りが特徴的な品種”藤枝かおり”は、文字通り藤枝市で生まれた品種です。
地域のほとんどを険しい山間部が占める藤枝市では、香りを活かしたお茶作りが行われています。
名峰・富士山の麓で作るお茶。富士市・富士宮市
日本一の山・富士山の西方、富士市・富士宮市でも、お茶作りは盛んです。
決して有名な茶山地ではありませんが、茶業研究センターが近くにあったことから、”やぶきた”の導入が非常に早く、今でも茶園の全てが”やぶきた”という生産者もいます。
近年では「富士茶」としてブランド化しようとする動きもあり、今後は特色のあるお茶作りが行われることでしょう。
日本のお茶の産地|石川県
「加賀棒茶」発祥の地として有名な石川県は、決してお茶作りが盛んな地域ではありません。生産量は極めて小さいながらも、お茶どころとしてある一定の知名度があるのは、「加賀棒茶」のブランド力が非常に強いためでしょう。
石川県のお茶づくりの歴史
石川県のお茶づくりは江戸時代から行われていました。現在の打越町で、大聖寺藩の藩主の命によりお茶づくりがはじめられたといわれています。加賀藩の藩祖である前田利家が、千利休から直々に茶の湯を学んだことや、栽培法や製茶法が宇治から伝えられたことが、石川県のお茶文化に大きく影響を与えました。
現在にまで続く石川県の銘茶である「加賀棒茶」が生まれたのは明治時代半ばのこと。それまでは捨てていた三番茶以降のお茶の茎を焙じたことがきっかけでした。
ところが、石川県の寒冷で日照時間の短い気候はお茶作りには適さず、昭和33年・平成11年には、圃場整備事業(土地改良事業)で多くの茶園が失われました。後に打越製茶農業協同組合がお茶の生産を守るために新しい茶園づくりを行い、現在ではそのわずかな茶園が伝統的に残るのみです。
現在でも石川県には茶道が盛んであり、日本でトップクラスだといわれています。
栽培している地域
冒頭に述べたとおり、石川県のお茶の生産量はわずかです。江戸時代には加賀藩主にお茶を献上するほど由緒ある産地でしたが、現在はほとんど作られていません。
加賀棒茶のほかにも、石川県には「中居茶」「輪島茶」といったお茶がありますが、こちらも生産量が少なくほとんど知られていません。
石川県のブランド茶といえば、やはり加賀棒茶なのです。
加賀棒茶
石川県で作られる「棒茶」です。
棒茶とはお茶の葉ではなく茎を焙じて作られるお茶をいいます。加賀棒茶では特に、新茶の茎だけを浅く焙じて作ります。ほうじ茶の一種であり、独特の芳ばしい香りが特徴だといわれています。
石川県内でお茶の生産量がごく僅かなため、他県で生産されたお茶を石川県で買い上げ、仕上げや焙煎を行っているケースがほとんどです。
加賀棒茶は石川県ふるさと食品認証食品にも登録されている、石川県を代表する名産品です。昭和天皇に献上されたこともあり、まさに銘茶と呼ぶに相応しいお茶です。
日本のお茶の産地|佐賀県
平成30年、佐賀県のお茶の生産量は1,270トン。この年のシェア第7位にあたる都道府県です。「グリ茶」とも呼ばれる玉緑茶の生産量にかぎっていえば、第2位の生産地でもあります。
”やぶきた”を中心に、”さえみどり”、”さえあかり”、”さきみどり”、”あさつゆ”、”おくゆたか”、”おくみどり”などの品種が栽培されています。
佐賀県のお茶づくりの歴史
佐賀県のお茶づくりは、県南西部の嬉野地区で始まりました。
1440年、嬉野に移り住んできた明の陶工が、お茶の栽培・製茶をはじめたことがきっかけだとされています。
1504年には、同じく明の陶工である紅令民が、焼き物文化とともに南京釜を持ち込み、釜炒り茶の製法を伝えました。
煎茶の製法が開発されたのは江戸時代なので、嬉野の釜炒り茶は日本で煎茶が広まる前にすでに誕生していたということになります。
嬉野が一大産地となったのは江戸時代の初期。佐賀藩の吉村新兵衛が嬉野の山林を切り開き、南京釜の製法を改良し、茶業の振興を図ったことで栽培量が大きく拡大しました。
江戸時代の末期には、長崎の女性貿易商である大浦慶によって、嬉野茶が輸出されるようになりました。これは民間人によるお茶貿易の第一号とされていて、横浜港が開港して日本茶が正式に輸出されるようになる100年も前のことです。
栽培している地域
佐賀県には武雄市、伊万里市、塩田町、北波多村など、いくつものお茶の栽培地域がありますが、佐賀県のお茶の産地として名高いのは、なんといっても嬉野市でしょう。
嬉野茶
佐賀県の南西部にある嬉野市を中心に作られるお茶です。
嬉野茶の栽培地域はなだらかな山間地で霧が深く、温暖な気候や日照量など、お茶の栽培に適しています。朝晩の温度差がお茶をまろやかにし、香りとコクを与えます。
嬉野では、玉緑茶が多く作られています。
通常、まっすぐピンとした形に仕上げる、お茶の葉を独特の丸く曲がった形(勾玉状)に仕上げるお茶で、「グリ茶」とも呼ばれています。
製法によって「蒸し製玉緑茶」と「釜炒り製玉緑茶」に別れており、お茶の葉を蒸して作られるのが「蒸し製玉緑茶釜」、炒って作られるのが「炒り製玉緑茶」です。
嬉野茶のほとんどは、「蒸し製玉緑茶」です。
日本のお茶の産地|宮崎県
平成30年宮崎県のお茶の生産量は3,800トン。この年の生産量の5%ほどを占める、日本第4位の生産量を誇る都道府県です。
宮崎県で産されているのは主に煎茶で、生産量の約80%を煎茶が占めています。
また、生産量こそ小さいものの、宮崎県は釜炒り茶で名高いお茶の産地でもあり、釜炒り茶の生産量に限れば、日本最大の生産地です。
”やぶきた”を中心に”さえみどり”、”ゆめかおり”、”さきみどり”、”はるもえぎ”などの品種が栽培されています。
宮崎県のお茶づくりの歴史
宮崎県では昔から、山間地に自生している山茶を飲んでいたといわれています。
お茶にまつわる記録が残っているのは1600年代から。当時、貢ぎ物や物税として使われていました。
宮崎県で本格的にお茶が作られるようになったのは明治時代以降。山茶にも使われていた釜炒り茶の製法と、宇治から伝わった煎茶の製法が宮崎県全域に広まりました。
釜炒り茶の製法は、1600年頃に朝鮮から。煎茶の製法は1751年、都城島津藩の藩医だった池田貞記が宇治から製法を学び、県内に伝えたと言われています。
大正時代の末期から昭和時代の初期にかけて、県が茶業奨励策を採ったことで、お茶づくりの土台ができあがりました。
昭和40年代には戦争の影響から減少した茶園面積や生産量も回復していき、その後平成10年頃までは茶園面積が減少傾向にありましたが、平成11年ごろからは茶園面積・生産量ともに少しずつ増えていき、近年では県全体で「品質日本一の茶産地」を目指し、全国茶品評会でも好成績を収めるなど、高品質なお茶づくりに力を入れている地域です。
栽培している地域
宮崎県は温暖な気候と肥沃な大地、降雨量などから、お茶の栽培に適した都道府県です。
海沿いの地域から標高700メートルの山間地にいたるまで、広いエリアでお茶が作られています。
高千穂茶
宮崎県の北西部にある、高千穂町を中心とする山間地で作られるお茶です。
高千穂茶のほとんどは釜炒り茶です。収穫直後のお茶の葉を、蒸すのではなく釜で炒って作られる釜炒り茶の生産量は日本全体の生産量の1%にも満たないほどですが、釜炒り茶の多くは九州で作られており、さらにその6割ほどが宮崎県で生産されています。
水色は透明感のある金色で、釜香(かまか)という独特の香ばしい香り、すっきりした味わいが楽しめます。
日本のお茶の産地|奈良県
平成29年の奈良県のお茶の生産量は1,730トンと、この年の生産量第7位の都道府県です。
奈良県で作られたお茶は、総称して「大和茶」と呼ばれ、かぶせ茶・煎茶・番茶・碾茶が生産されています。
奈良県のお茶づくりの歴史
奈良県でのお茶づくりの始まりには、弘法大師(空海)が関わっています。
806年、唐からお茶の種を持ち帰った弘法大師は、弟子の堅恵にその種を与え、堅恵はその種を佛隆寺(仏隆寺)に植えたといわれています。またこの時、弘法大師は唐から石製の茶臼も持ち帰ったと伝えられており、その茶臼は現在も仏隆寺で保管されています。
その後、寺院を中心にお茶の文化が広がり、室町時代には、奈良出まれの茶人・村田珠光によって「侘び茶」が生まれました。「侘び」の精神を重んじる茶の湯である「侘び茶」は、後に千利休が完成させる茶の湯や、現代の茶道へとつながっていきます。
自然条件に恵まれただけでなく、寺院が多いことから、仏教との関係でもお茶が広まり、お茶処として発展してきた歴史を持つ、国内でも珍しい茶の産地となっています。
栽培している地域
大和茶は主に、奈良県の東北部にある大和高原エリアで栽培されています。
大和高原は奈良市、天理市、桜井市、宇陀市などに渡って広がる、山間の冷涼地であり、日照時間が短く、朝晩の寒暖差が大きいため、良質なお茶を作るのに非常に適したエリアです。
日照時間が短いためにお茶がゆっくりと育ち、寒暖差により葉に養分がたっぷりと蓄えられたお茶が作られています。
中でも、奈良市月ヶ瀬で作られる「月ヶ瀬茶」は、銘茶として名高いお茶の一つです。
月ヶ瀬茶
月ヶ瀬はお茶の名産地としてだけでなく、良質の土の産地として、また梅の名所としても知られています。
山間にある栽培地域である月ヶ瀬は、日本で一番お茶の収穫が遅い地域ともいわれています。
通常新茶の収穫時期は5月2日前後ですが、冷涼地で栽培される月ヶ瀬茶は生育が遅く、一番茶の収穫が6月に行われることもあります。4月上旬から収穫がはじまる鹿児島県とは、収穫の時期に大きく違いがあります。
また、月ヶ瀬で栽培されるお茶の約八割がかぶせ茶で、濃い旨味を持つお茶が多いのが特徴です。
日本のお茶の産地|福岡県
福岡県は、最高級のお茶・玉露の生産が盛んな茶産地です。2020年の生産量は1,600トンと、国内6位の生産量を誇ります。
“やぶきた”を中心に”かなやみどり”、”おくみどり”、”さえみどり” 、“あさつゆ”などの品種が栽培されています。
生産される茶種は、煎茶・かぶせ茶・玉露・釜炒り茶など様々ですが、特に伝統本玉露の生産量は日本一を誇り、日本屈指の高級茶の産地でもあります。
福岡県のお茶の特徴
伝統本玉露で知られる福岡県では、玉露以外にもさまざまな種類のお茶が作られています。
地域によって差異はありますが、毎年日本全国数十件の生産者とお会いする私たちが感じる福岡のお茶の特徴をご紹介します。
1kg30万円?最高級の玉露の産地
玉露は、最高級のお茶とされており、摘採前に20日間以上の被覆栽培を経て作られます。
かぶせ茶が10日前後の被覆栽培で作られるのに対し、その期間は倍以上。
福岡県八女市の「八女伝統本玉露」は、一般的な黒い寒冷紗ではなく、藁やよしずの覆いをかける「覆下」という伝統的な栽培方法で作られています。
手摘みで作られるため、生産量も極めて少なく、その分値段も他のお茶とは一線を画します。その年の品評会で最高の評価を得たものは1kg30万円の値がつくことも。
名実ともに、日本最高級のお茶です。
旨味のお茶作り
長年玉露を作ってきた経験からか、福岡県の煎茶は、旨味を楽しむお茶が非常に多いのが特徴的です。
日本のお茶の7割を占める”やぶきた”や、玉露に使われることもある”さえみどり”、天然玉露とも呼ばれる”あさつゆ”や、すっきりとした味わいの”おくみどり”など、濃厚な旨味を楽しめるのも、福岡のお茶の特徴です。
福岡県のお茶づくりの歴史
福岡県のお茶づくりは、県の南西部にある八女市で始まりました。
室町時代、周瑞禅師が筑後国上妻郡鹿子尾村(現在の黒木町笠原)に霊巌寺を建て、中国から持ち帰ったお茶の種を蒔いたといわれています。
同時期に、釜炒り茶の栽培や製造などを、鹿子尾村の庄屋である松尾太郎五郎久家に伝えたと言われており、これが福岡のお茶づくりの発祥となりました。
江戸時代の中期には、八女から京都や大阪へ、少量ながらも釜炒り茶が流通するようになりました。
ただし、当時はまだお茶の生産量が少なかったため、ほとんどのお茶は久留米藩内での流通に留まっています。
現在の八女茶最大の特徴である玉露が生まれたのは、明治時代の初期といわれています。
山門郡(現在のみやま市)にある清水寺の住職・田北隆研によって、玉露の栽培法や製茶法を教えるための修練所が作られ、玉露の生産が普及しました。
その反面釜炒り茶は、明治20年(1887年)アメリカが出した粗悪茶輸入禁止条例により、輸出量が激減。その後国内市場に置いても釜炒り茶よりも通常の蒸製緑茶の人気が高まった結果、釜炒り茶の生産は次第に縮小していきました。
その後、大正時代には煎茶の製造技術も発達し、複数存在していた郡産茶を「八女茶」のブランドの元に統合し、現在の八女茶に続きます。
福岡県のお茶の産地
福岡県の茶園の約90%は八女地域にあり、その全てを「八女茶」と呼んでいます。
伝統本玉露の「八女茶」
福岡県の南西部にある八女市と、その隣にある筑後市、広川町などで作られるお茶です。
主に煎茶が作られていますが、山間部では玉露も生産されています。
八女の玉露は、日本でも最大級の生産量を誇り、全国茶品評会でも19年連続で入賞するなど、非常に高い評価を得ています。八女の玉露は、生産量・質ともに、日本トップクラスのお茶です。
清らかな湧水と山間部のうきは市
県の南西部に位置するうきは市は、名水百選に数えられる湧水があり、今も上水道の設備を持たず、豊かな地下水と湧水で人々が暮らす、自然豊かな街です。
豊かな水源に支えられ、山間部に作られたうきはの畑では、香り高く仕上げられたお茶が作られています。
日本のお茶の産地|鹿児島県
鹿児島県の2020年のお茶の生産量は全国第2位。しかもその生産量は年々増えており、静岡県に迫る勢いです。2020年の生産量は23,900トンと、国内生産量の約34%にあたります。
品種としては、”やぶきた”を筆頭に”ゆたかみどり”、”さえみどり”、”あさつゆ”、”おくみどり”などが栽培されています。中でも”ゆたかみどり”は、鹿児島県が最大の生産地であり、日本全国で”やぶきた”に次いでシェア第2位の品種です。
今回は、そんな鹿児島県のお茶づくりの歴史や産地をご紹介します。
鹿児島県のお茶の特徴
鹿児島県では、色々な種類のお茶が県内の至るところで作られています。
地域によって差異はありますが、毎年日本全国数十件の生産者とお会いする私たちが感じる鹿児島のお茶の特徴をご紹介します。
被せ・深蒸しの旨味のお茶
鹿児島県のお茶の特徴を一言で表すなら、「被せ・深蒸し」です。
特に、日本で最大の生産量を誇る市区町村・南九州市では、広大な平野部を活かしたお茶作りが行われており、長い日照時間からお茶の葉が厚く、苦渋味の強いお茶に育ちます。
そのため収穫前には被覆栽培を行い苦渋味を抑え、蒸しを長く行うことでまろやかな味わいに仕上がる深蒸し煎茶の生産が主流となりました。
鹿児島県の新茶は日本一早い?
本土最南端のお茶どころである鹿児島県では、その温暖な気候と日照時間の長さから、新茶の出荷が日本で一番早いことも特徴です。
通常静岡や京都では4月の中旬から5月上旬にかけて収穫がされるのに対し、鹿児島は4月上旬から、種子島では3月下旬から、収穫が始まります。
この新茶は「走り新茶」または「大走り新茶」とも呼ばれ、最も早く市場に出回るお茶となります。
一般的に新茶は、市場に出るのが早ければ早いほど高値が付く傾向にあります。
日本で最も早くお茶が作られる鹿児島県では、そのスピードを求めて”ゆたかみどり”、”さえみどり”、”あさつゆ”などの早稲品種が多く作れらています。
“ゆたかみどり”の一大産地
国内の生産量シェアで、”やぶきた”に次いで2番目に多く生産されている緑茶向け品種”ゆたかみどり”は、そのほとんどが鹿児島県内で生産されています。
旨味が濃く、同時に渋味も強いこの品種は、被覆栽培で旨味をしっかりと蓄えさせ、深蒸しで渋味を抑えて作ることで、非常にバランスの良いお茶に仕上がります。
また、温暖な気候を好む早稲品種でもあり、新茶としてのスピードが求められる鹿児島という産地にぴったりの品種なのです。
打倒静岡?国内生産量1位になる日も近い
長らく、国内最大のお茶どころとして君臨してきた静岡県ですが、近年は山間部でこ農作業の効率化が図れないことと後継者不足から、その生産量は伸び悩んでいます。
それに対して後発地域としての利点を最大限に活かし、大規模で効率化された茶生産が盛んな鹿児島県の生産量は急速に伸びており、2020年の生産量は、静岡県が25,200トン、鹿児島県が23,900トンと肉薄しています。
2021年には、この順位は逆転するとも言われており、茶産地として鹿児島県が日本一に輝く日も近いかもしれません。
鹿児島県のお茶づくりの歴史
鹿児島県でお茶の栽培がはじまったきっかけには、いくつかの説があります。
ひとつは、鎌倉時代の初期、平家の落人によって金峰町阿多・白川に伝えられたという説。もうひとつは、室町時代に、宇治からお茶の種を取り寄せて吉松町(いまは合併により湧水町)に蒔いたという説です。
その後、島津藩政時代にお茶の栽培が奨励されるようになりましたが、本格的なお茶の栽培や生産がはじまったのは、第二次世界大戦以降のこと。
後発地域としての利点を生かし、機械化による低コストかつ大量生産の設備を早期から導入し、その生産量を大きく伸ばしました。平坦な栽培地が多いのも、機械化が大きく進んだ要因の一つです。
農業の法人化も進んでいて、大規模な農家が多いことも鹿児島県のお茶栽培の特徴といえます。特に南九州市は、茶農家一人当たりの平均農耕面積が日本で最も大きいく、機械化の恩恵を大きく受けた茶産地といえます。
鹿児島県のお茶の産地とブランド茶
九州の南端にある鹿児島県では、温かい気候と長い日照時間を生かして、多くの地域でお茶の栽培が行われています。
特に南九州市は、茶の生産量が静岡県の市区町村を抑えて全国1位の市であり、日本最大のお茶どころとなっています。
鹿児島県で作られるお茶を、総称して「かごしま茶」と呼び、その中でもブランド茶として有名なのが「知覧茶」です。
広大な平野部で作られる深蒸し茶「知覧茶」
元々は南九州市知覧町で作られるお茶のみを示す「知覧茶」ですが、平成29年の市町村合併により、別々のブランド茶であった「知覧茶」「頴娃茶」「川辺茶」をまとめて「知覧茶」として扱うようになりました。
温暖な気候と日照時間を活かした「被せ・深蒸し」のお茶が盛んに作られる、国内最大のお茶どころです。
かつては他県の茶商に買われ、他県のお茶と混ぜてブレンド茶として販売されることも多かったものの、近年では品質も上がっており、ブランド茶としての評価が高まっています。
香りを活かした山のお茶「霧島茶」
鹿児島空港のすぐ側、高千穂峰の麓に広がる霧島市は、その地名の通り「霧」が深く立ち込め、厳しい寒暖差と恵まれた土壌から、美味しいお茶が作られています。
標高が高く、気温の低い霧島市は、摘採時期が南九州市と比べて2〜3週間ほど遅く、新茶としては若干出遅れてしまうため、品質にこだわったお茶が多く作られる地域です。
近代的な大規模茶園が広がる志布志市
志布志市は、鹿児島県で南九州市に次いで2番目に生産量の大きい地域です。
その背景には、機械メーカーとの協業により実現した、作業効率を極めた超大規模な茶園があります。ドローンによる摘採時期の見極めや摘採の全自動化など、広大な平野部を活かした近代的なお茶作りが行われています。
まだまだブランド茶としては無名な志布志のお茶ですが、茶業の未来をかけた実験的な農園に、近年注目が集まっています。