July 22, 2020
茶器|萩焼

日本には様々な焼き物が存在しますが、その中でも特に「お茶」に深く関わりのある萩焼をご紹介しましょう。

萩焼って?

山口県の萩市を中心に生産されている陶器で、伝統的工芸品に指定されています。

茶陶として発展してきた萩焼は、「一楽、二萩、三唐津」と賞されてきました。これは茶人の茶碗の好み、あるいは格付けを表した言葉で、萩焼が昔から高く評価されていることがうかがえます。

特徴

萩焼は使う陶土や生産工程の影響で陶器に無数の細かいヒビが入るのが特徴。

このヒビのことを貫入(かんにゅう)といい、長年使うことでお茶などの成分が貫入に少しづつ染み込み、茶器の色などの趣が変化していきます。

この現象は茶人の間で「茶慣れ(ちゃなれ)」や「萩の七化け(はぎのななばけ)」と呼ばれ、使う人により表情が変わる茶碗として重宝されています。

また、萩焼には100を超える窯元がありますが、量産しているところはほぼありません。

ほとんどの窯元が小規模で、作家として活動しているため、一点物が多いのも萩焼の特徴です。

茶陶として親しまれることが多い萩焼は、素材そのものを生かした素朴なものが多く、色付けや装飾はほとんど行いません。

その分、陶土の状態やその日の気温や湿度、焼成の過程などによって出る色合いや模様の変化が分かりやすく、様々な模様や色合いの中からお気に入りの一品を見つける時間はファンにとって楽しいひと時です。

他の焼き物に比べて手入れに多少手間がかかりますが、手をかけて少しずつ自分だけの陶器を作り上げていくこの工程こそ、萩焼の魅力であり特徴です。

萩焼の歴史

萩焼の歴史は今から400年前まで遡ります。

萩焼が生まれた江戸時代前期

当時の日本は「やきもの戦争」といわれるほどの茶碗ブームが起きており、大名たちはこぞって朝鮮から陶工を連れて帰ってきていました。

実は萩焼の元祖は日本人ではなく、この時日本に招致された朝鮮人陶工の李兄弟。

李兄弟は、大名であり茶人でもあった毛利輝元の元でやきものを作り始め、のちにこれが萩焼となります。

茶陶以外も作り始めた明治時代から昭和時代

明治時代には数々の賞を受賞し、また表千家との結びつきも深くなったことでその地位を確立します。この頃に「一楽、二萩、三唐津」という言葉が生まれました。

しかし当時の日本は不況で、それを乗り越えるため、萩焼はこれまで作っていた茶陶だけではなく、日用品や海外からの観光客用に向けたアクセサリーなどの装飾品も作り始めます。

戦後から現在

戦後は日本の景気が良くなり、萩焼だけでなく窯業界全体が目まぐるしく発展します。

さらに焼き物ブームが起こり、全国に多くの窯ができました。

この頃から萩焼は個人作家の作陶活動が盛んになり、現在は茶陶はもちろんのこと、日本を代表する焼き物として知られるようになりました。

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