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日本には遥か昔から多くの焼き物が作られています。

今回は、食器類では日本で一番多く使われている焼き物、美濃焼についてご紹介します。

美濃焼って?

美濃焼は岐阜県の東濃地方にある多治見市・土岐市・瑞浪市を中心に生産される陶磁器のこと。

日本で生産される食器類の60%以上が美濃焼なので、家庭の台所には必ずといっていいほど美濃焼があります。

特徴

そんな美濃焼の一番の特徴は「特徴がないこと」です。

美濃焼はほかの焼き物ブランドと違い、独自の生産方法や決まりごとなどを持っていません。美濃で焼かれた陶磁器のことを「美濃焼」と呼んでいます。

極端にいうと、どのような材料や生産方法を用いても、どのような絵付けをしても美濃焼となります。ですので「美濃焼独自の特徴」は存在しません。

数多く存在する美濃焼の中でも特に有名なのが「桃山風」といわれる焼き物です。

桃山風焼き物には、大正時代にでき焼き物の染付けを初めて施した「志野(しの)」、千利休の弟子だった渡部が好んだことからその名がついた「織部(おりべ)」、古来より茶人に重宝され、茶器が有名な「黄瀬戸(きぜと)」、高台が低く安定感がある茶碗が有名な「瀬戸黒(せとぐろ)」などがあります。

それぞれ特徴は違いますが、これらも美濃で作られていることから美濃焼です。

決まりごとがないからといって他の焼き物より質が落ちることはなく、美濃焼には伝統工芸品に指定されているものが15種類もあり、時代や流行りを柔軟に取り入れ、日常使いを意識した使い心地の良い作品は高い評価を得ています。

美濃焼の歴史

美濃焼は1500年の歴史を持ちます。

須恵器が生まれた古墳時代から平安時代

美濃焼は、古墳時代に作られていた「須恵器(すえき)」が各地に広がり変化しながら生まれた焼き物のひとつです。

平安時代になると中国の陶器に似た灰釉を施した陶器が作られるようになり、その陶器が上級階級を中心に人気を集め、食器などが全国に流通しました。

美濃焼の茶器が一世を風靡した安土桃山時代から江戸時代

茶道が盛んだった安土桃山時代に、美濃焼の代表格である「志野」・「黄瀬戸」・「瀬戸黒」が生まれます。

美濃焼は織田信長の保護のもと歴史に残る数々の名陶器を残し、あの千利休や古田織部にも愛用されていました。

幻の磁器が生まれた明治時代

明治時代になると美濃焼の優れた陶工たちが海外からも高い評価を受けるようになり、美濃焼の輸出が広がります。

またこの時代、美濃焼は磁器の生産に力を注ぎ、繊細な染付吹き絵が描かれた絵画のような磁器が生まれました。これがのちに幻の磁器と呼ばれる「西浦焼」です。

西浦焼は国内だけでなく、パリ万博でも賞を受賞するなど世界から高く評価されますが、後継者問題などにより閉鎖されてしまいました。

そこから現在にかけて、生産業者や工場がどんどん増え、今では陶器の生産量1位、国内の食器シェア率60%にまで上り詰めました。

2023年, 1月 08日