August 02, 2020
世界のお茶の歴史|台湾

近年、タピオカミルクティーのブームなどで注目が集まっている台湾。

今回は、そんな台湾のお茶の歴史について詳しく解説していきます。

台湾のお茶の歴史

ここでは、台湾のお茶の歴史を時系列順に見ていきましょう。

台湾のお茶の発祥

そもそも台湾にお茶が伝わったのは、台湾が清朝支配下にあった1796年ごろであったと言われています。

中国の柯朝という商人が、福建省の烏龍茶の苗木を台湾に持ち込んだのが台湾茶のはじまりでした。

また、1862年には福建省の指導者によって製茶法が伝わり、中国式のお茶づくりが始まります。

台湾茶の拡大

台湾茶は、英国人であるジョン・ドットのサポートによって急速に拡大していきました。

1865年、彼は台湾の淡水に「寶順洋行」という貿易会社を設立し、中国の福建省から茶苗や種を大量に持ち込んだのです。

そして、それを各地の農民に貸し付け、収穫後に再度茶葉を買い取るというシステムを築き上げました。

さらに、1866年には中国の福建省を通じて、台湾の茶葉がアメリカやオーストラリアに輸出されることに。

品質が良く、特にアメリカで人気を博した台湾のお茶は、1969年には「Formosa Tea」(麗しの島のお茶)という名前で輸出されるようになります。

また、1972年にはイギリスへの輸出を開始するなど、台湾茶は徐々に販路を拡大していきます。

日東紅茶の影響

日本で古くから親しまれている国産ブランドとして有名な「日東紅茶」。

しかし、実は日東紅茶は当初台湾で製造されていたものでした。

ここでは、戦時下の日本が台湾の茶業に与えた影響について述べていきます。

台湾茶業の推進

1895年、日清戦争で日本が勝利したことにより、台湾は日本の統治下に置かれることになります。

そして、1903年には統治政策の一環として紅茶に関する試験場を設置することになり、台湾の中で茶業がさらに推進されていくことになりました。

三井合名会社の進出

三井合名会社は、日本による統治がはじまってすぐに台湾へ進出した企業のひとつでした。

そして、1908年には台湾支社を設立し、お茶に関するイギリス方式の大量生産方式を導入します。

台湾茶業の中核を担っていた三井は、大寮や大渓、苗栗などに次々と茶工場を設置。

1924年になると本格的な茶製造を開始し、台湾内地で缶詰の「三井紅茶」(のちに「日東紅茶」に改名)を販売するに至ります。

その後、「日東紅茶」は日本の中流以上の家庭でも消費されるようになり、徐々に国産紅茶ブランドとしての認識が浸透していきます。

そして、日本の占領から解放後、茶業の設備や資本などは全て台湾農林が接収することになりました。

もちろん戦争による支配は許されることではありませんが、このように三井の行なった事業が現在の台湾の茶業の基盤となっていることは事実です。

現代

現在も台湾では茶業が盛んに行われており、烏龍茶のほか、紅茶が世界中で高い評価を受けています。

台湾の紅茶は標高600〜800mの傾斜地で栽培されており、独特の香りを楽しむことができるからです。

また、豊富な種類の紅茶を楽しめるのも台湾茶の魅力のひとつ。

具体的には、以下のような様々な種類の紅茶が栽培されています。

  • 台茶7号、台茶8号(ミルクティーに適した味)
  • 台茶18号(シナモンやミントの香り)
  • 台茶22号(フローラルの香り)
  • 台茶23号(レモンや柚子のようなさっぱりした香り)

この中で、台茶18号は欧米の人が、台茶23号は若年層が好む味というように、それぞれのターゲット層が異なっているのが特徴です。

今後も新たな客層を取り込むための品種開発が行われていくことが予想されるので、台湾の茶業はますます発展していきそうですね。