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埼玉県のお茶の生産量は国内生産量の約1%ほど。決して生産量の多い都道府県ではありませんが、埼玉県で作られる「狭山茶」は、「静岡茶」「宇治茶」と並ぶ日本三大茶に数えられており、日本有数の銘茶の産地として知られています。
埼玉県のお茶、狭山茶の特徴
埼玉県、特に狭山は、私たちから見ても少し変わった茶産地です。
今回はそんな狭山茶の特徴を、毎年日本全国数十件の生産者とお会いする私たちの目線からご紹介します。
「味」の狭山茶
古くから歌われる歌に、「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」という一説があります。
日本三大銘茶の静岡茶、宇治茶、狭山茶の特徴を表した歌で、ここで歌われる通り、狭山茶はその味わいが素晴らしいお茶です。
その理由は土質と寒冷な気候。
関東ローム層の水はけの悪い土が堆積した狭山エリアでは葉肉が厚く育つため、他地域のように、針のようにピンと伸びた美しいお茶は作りづらいというデメリットがあります。
ですが裏を返せば、葉肉が厚い分栄養もしっかりと蓄えられており、二煎目三煎目まで出してもしっかりと味が残るのが、狭山茶の特徴です。
土質から生まれる力強い味わいは、古くから評価されてきた狭山茶の1番の特徴なのです。
自製自園自販の生産者が多い
狭山の生産者は、自分たちで作った茶葉を自分たちで仕上げ、自分たちで販売までを行う、自製自園自販の生産者が多いのが特徴的です。
都心部に近い狭山では、茶園の面積が大きく取れないため小規模な生産者が多く、生産者一戸あたりの栽培面積は主要産地中で最も小さくなっています。そのため、店舗やネットショップを構えて自社で販売を行ったり、地元の直売所や商業施設で販売するなど、自身で販売までを完結する生産者が多いことが特徴です。
そして、自身で販売をするということは、茶商や茶市場のしがらみがなく、消費者のニーズを直接窺いながら自由なお茶作りができるということでもあります。
紅茶や烏龍茶を作る生産者もいれば、通常の煎茶の工程にはない「萎凋」を行い、香りを引き出した煎茶を作る生産者もいて、それぞれの個性を活かしたお茶が作られる地域なのです。
狭山茶の真髄、狭山火入れ
狭山茶について度々耳にするのは「狭山火入れ」という言葉。これは狭山茶に伝わる伝統的な火入れの技術のことで、狭山茶の味わいと香りはこの技法によって作られていました。
まだ火入れ機がなかった時代、火入れは「焙炉」でという機械を使い、手作業行われていました。通常は焙炉に山盛りにしたお茶を、天地返しにしながら火入れ(乾燥)をさせますが、葉肉が厚い狭山のお茶は乾燥がしづらいというデメリットがあります。そこで、焙炉にお茶を擦り付けなら、お茶の表面に傷をつけることで、水分が出やすいように火入れを行うのです。
そうして生まれたお茶は表面が白っぽくなり、しっかりと水分が抜けているため、長期輸送でも品質が変わらず、海外での評価も高かったそうです。
火入れ機を使うことが一般的な現在では、「火入れが強い」ことが狭山火入れだとも言われており、時代とともに言葉の意味合いも転じてきています。
埼玉県のお茶づくりの歴史
埼玉県のお茶づくりは比較的後発で、鎌倉時代、川越に明恵上人がお茶の木を植えたことがきっかけで始まったといわれています。
南北朝時代には、埼玉県のお茶は「河越茶」として親しまれており、この頃から東国のお茶の産地として知られていました。
埼玉県で本格的にお茶の栽培が行われるようになったのは、江戸時代後期。
入間市宮寺の吉川温恭、村野盛政が京都・宇治の製法を取り入れて、蒸製煎茶の量産に成功しました。次第に県の特産物としてお茶の栽培が盛んになり、栽培地域も広がっていきました。
明治時代には、輸出のために河越茶は「狭山茶」というブランドに統合され、現在も埼玉県を代表する農作物となりました。
埼玉県のお茶の産地
埼玉県のお茶の栽培地域は県全体に点在していますが、主な栽培地域は入間市周辺の狭山茶の栽培エリアです。
味でとどめさす日本三大銘茶「狭山茶」
埼玉県西部にある狭山市、入間市、所沢市を中心に作られているお茶が「狭山茶」です。
狭山茶という名称ではありますが、狭山市より入間市での栽培が盛んで、これは入間市の雨がおおく、水はけの良い立地がお茶の栽培に適しているためです。
「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」という茶摘み歌もあるほど、その深い味わいが評価されています。