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私たちにとって焼き物は生活の一部であり、詳しくなくても知らず知らずのうちに急須や土鍋、食器などで日本の伝統的な焼き物を使っていたりします。
この記事では数多く存在する焼き物の中から丹波焼(たんばやき)・丹波立杭焼(たんばたちくいやき)をご紹介します。
丹波焼って?
丹波焼・丹波立杭焼(以下丹波焼)は兵庫県篠山市の今田周辺で作られている陶器で、備前焼・常滑焼・瀬戸焼・信楽焼・越前焼とともに日本六古窯に数えられています。
時代とともに作る焼き物が変わる窯元も多い中、丹波焼は開窯してから800年間、一貫して素朴な生活窯品を作り続けています。
特徴
丹波焼の特徴は以下の通りです。
左回転のロクロ
多くの焼き物が右回転のロクロを使っていますが、丹波焼は日本では珍しい左回転のロクロを昔から使っており、その伝統技術は今も受け継がれています。
ほとんどの窯元が少数規模
丹波焼の窯元はほとんどが少数規模で、土作りから仕上げまで一貫して手がけます。
全国各地で修行を積んで戻ってきた作家がそれぞれの経験や技法を生かして作品を作るため、作家の数だけ作風があります。
また丹波焼のほぼ全ては作家が作った焼き物なので生産量が多くないのも特徴です。
世界にひとつしか存在しない色と模様
丹波焼は高温で長時間かけて焼くことで、燃料の松の薪の灰が焼き物に降りかかり、それが焼き物の原料に含まれる鉄分などと溶け合うことで化学反応が起き、独特の模様や色が現れます。
これを「灰被り(はいかぶり)」と呼び、丹波焼独自の色と模様として愛されています。
灰被りは炎の当たり方や強さ、灰のかかり加減で色や模様が変化するため、ひとつとして同じものは存在しません。
丹波焼の歴史
丹波焼はその800年の歴史の中で時代とともに何度も名称が変わっています。
発祥から安土桃山時代
丹波焼の生産地である兵庫県篠山市の今田周辺はこの当時、摂津住吉神社の荘園で「小野原荘」と呼ばれていたことから「小野原焼」と呼ばれていました。
江戸時代
江戸時代になると朝鮮式の登り窯が導入されたことにより、短時間で一度に多くの焼き物を作ることが可能となり一気に生産量が上がります。
この時代は、窯屋の山麗に登り窯が築かれたことから窯屋時代と呼ばれています。そしてこの時代に小野原焼から「丹波焼」に名称が変わります。
丹波焼は茶陶も有名ですが、盛んに茶陶が作られ始めたのはほかの焼き物より少し遅い江戸時代でした。
明治時代から現在
明治時代以降、立杭地区を中心に丹波焼が作られるようになったことから、「立杭焼」と呼ばれるようになりました。
しかしその後、国の伝統的工芸品の指定を受けた際に丹波焼と立杭焼を合わせた「丹波立杭焼」という名称を申請し、これが認められたことで、正式に「丹波立杭焼」となりました。