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平成30年、佐賀県のお茶の生産量は1,270トン。この年のシェア第7位にあたる都道府県です。「グリ茶」とも呼ばれる玉緑茶の生産量にかぎっていえば、第2位の生産地でもあります。
”やぶきた”を中心に、”さえみどり”、”さえあかり”、”さきみどり”、”あさつゆ”、”おくゆたか”、”おくみどり”などの品種が栽培されています。
佐賀県のお茶づくりの歴史
佐賀県のお茶づくりは、県南西部の嬉野地区で始まりました。
1440年、嬉野に移り住んできた明の陶工が、お茶の栽培・製茶をはじめたことがきっかけだとされています。
1504年には、同じく明の陶工である紅令民が、焼き物文化とともに南京釜を持ち込み、釜炒り茶の製法を伝えました。
煎茶の製法が開発されたのは江戸時代なので、嬉野の釜炒り茶は日本で煎茶が広まる前にすでに誕生していたということになります。
嬉野が一大産地となったのは江戸時代の初期。佐賀藩の吉村新兵衛が嬉野の山林を切り開き、南京釜の製法を改良し、茶業の振興を図ったことで栽培量が大きく拡大しました。
江戸時代の末期には、長崎の女性貿易商である大浦慶によって、嬉野茶が輸出されるようになりました。これは民間人によるお茶貿易の第一号とされていて、横浜港が開港して日本茶が正式に輸出されるようになる100年も前のことです。
栽培している地域
佐賀県には武雄市、伊万里市、塩田町、北波多村など、いくつものお茶の栽培地域がありますが、佐賀県のお茶の産地として名高いのは、なんといっても嬉野市でしょう。
嬉野茶
佐賀県の南西部にある嬉野市を中心に作られるお茶です。
嬉野茶の栽培地域はなだらかな山間地で霧が深く、温暖な気候や日照量など、お茶の栽培に適しています。朝晩の温度差がお茶をまろやかにし、香りとコクを与えます。
嬉野では、玉緑茶が多く作られています。
通常、まっすぐピンとした形に仕上げる、お茶の葉を独特の丸く曲がった形(勾玉状)に仕上げるお茶で、「グリ茶」とも呼ばれています。
製法によって「蒸し製玉緑茶」と「釜炒り製玉緑茶」に別れており、お茶の葉を蒸して作られるのが「蒸し製玉緑茶釜」、炒って作られるのが「炒り製玉緑茶」です。
嬉野茶のほとんどは、「蒸し製玉緑茶」です。