抹茶は碾茶(てんちゃ)を石臼で挽いたものです。碾茶は被覆栽培した茶葉を蒸し、揉まずに乾燥させ、葉脈と茎を除去して作られます。この一連の流れの中に、抹茶がほかの日本茶と根本から異なる理由があります。
鮮やかな緑、やわらかな甘味、きめ細かな泡立ち。そのどれもが、収穫よりかなり前から始まる工程設計の結果。抹茶を理解するには、完成した粉だけでなく、その前段階である碾茶を見る必要があります。
碾茶とは — 抹茶の原料
被覆栽培の仕組みと効果
一番茶の収穫3〜4週間前から、碾茶用の茶畑は覆われます。伝統的には葦簀(よしず)や菰(こも)が使われ、現代では遮光率70〜90%の遮光ネットが一般的です。強い日差しを遮ることで、茶の木は限られた光で光合成を続けようとし、葉緑素(クロロフィル)の生成を増やします。これが抹茶の鮮やかな緑色の土台。
同時に、旨味の主役であるテアニン(L-テアニン)の蓄積量が増えます。日光が十分に当たると、テアニンは渋味のもとになるカテキンへと変換されますが、遮光下ではその変換が抑えられます。結果として、碾茶用の葉は甘味と旨味が前に出やすく、後味の渋味は穏やか。被覆栽培の詳しい仕組みは被覆栽培の記事で詳しく紹介しています。
成分バランスの変化
数値で見ると違いはさらに明確です。非遮光の一番茶煎茶は、カテキン含量が乾燥重量比で12〜15%程度になることが多い一方、25日前後しっかり遮光した碾茶の茶葉では7〜10%前後まで下がります。反対にテアニン含量はおおむね倍増し、クロロフィル濃度は30〜40%ほど高まります。
この化学的な変化は、そのまま味と色の違いになります。抹茶の甘味が単なる糖の甘さではなく、だしのような厚みを伴うのはテアニンが多いからです。鮮やかな深緑がくすまず、点てたときの水色まで明るく見えるのは、クロロフィルの増加と微粉末の光散乱が重なるためです。抹茶が「濃い煎茶」ではない理由は、原料段階ですでに別の成分設計になっていることにあります。
収穫から碾茶ができるまで
摘採 — 一番茶、手摘みと機械摘み
碾茶は基本的に一番茶限定です。宇治では例年4月下旬〜5月上旬が中心で、この時期の若葉が最も高いテアニン濃度を持ちます。一芽二〜三葉ほどのやわらかい新芽を使うため、収穫の遅れは品質にそのまま響きます。現在は機械摘みが主流ですが、特に上級品では芽のそろい方や葉傷みを抑えるため、手摘みが続けられている畑もあります。
蒸し — 煎茶との違い
摘んだ茶葉はすぐに蒸されます。酸化酵素の働きを熱で止める「殺青(さっせい)」工程です。碾茶の蒸し時間は5〜15秒と短めで、煎茶、特に深蒸し煎茶の30〜90秒と比べるとかなり軽い処理です。ここで長く蒸しすぎると、抹茶に必要な清涼感のある香りや輪郭の細い旨味がぼやけやすくなります。短蒸しは、後の石臼挽きで生きる香りを残すための設計でもあります。
揉まずに乾燥 — 碾茶炉の特殊性
碾茶がほかの日本茶と最も異なるのは、「揉まない」という点です。煎茶は蒸した後に何度も揉みを重ね、細胞壁をある程度壊しながら針状の形に整えます。碾茶はその工程を一切行いません。葉を平らなまま乾かすことで、後から石臼で挽くときに必要な、繊細で均質な組織を保ちやすくなります。ここで強く揉んでしまうと、粉にしたときの口当たりが粗くなりやすく、香りの出方も重たくなります。
そのために使われるのが、碾茶専用の「碾茶炉」です。一般的な碾茶炉は数メートルの高さがあり、複数段のコンベアが上下に積み重なっています。茶葉は最下段の高温帯から入り、150度以上の熱風で一気に表面水分を飛ばされながら、送風によってふわりと持ち上げられます。その後、上段から中段、下段へと移り、より穏やかな温度帯を通りながら20〜30分ほどかけて段階的に乾燥します。
この機械の要点は、乾かすことだけではありません。葉をほぐしながら均一に熱を通し、重なりや焦げを防ぎ、しかも揉まずに仕上げることにあります。まさに碾茶づくりの核心。完成した葉は、針状ではなく、薄くて軽く、もろいフレーク状です。これが石臼挽きに向いた碾茶の形です。
茎・葉脈の除去
乾燥した碾茶の荒茶には、まだ茎と葉脈が残っています。これをステムカッター(茎切機)と選別機で取り除きます。葉脈や茎を残したまま石臼で挽くと、粒子が均一になりにくく、粉の手触りにざらつきが出ます。抹茶のなめらかな舌ざわりは、石臼だけでなく、その前段階の丁寧な選別に支えられています。
この工程では、単に異物を除くのではなく、どの部分を抹茶の粉にするかを見極めています。やわらかい葉肉の部分が中心になるため、碾茶は見た目以上に歩留まりの低い原料です。抹茶が少量ずつ大切に扱われる理由のひとつでもあります。
| 工程 | 内容 | 煎茶との違い |
|---|---|---|
| 摘採 | 一番茶(一芽二〜三葉) | 同様 |
| 蒸し | 5〜15秒の短蒸し | 煎茶より短い |
| 冷却・送風 | 茶葉を吹き上げて冷却・解きほぐす | 揉みを行わない |
| 碾茶炉乾燥 | 複数段コンベアで平らなまま乾燥(150度以上) | 揉まない乾燥は碾茶だけ |
| 茎・葉脈除去 | ステムカッターと選別機で除去 | 石臼挽きの前提として必須 |
| 合組(ブレンド) | 複数の碾茶を目標の色・風味に合わせてブレンド | 他の茶の仕上げと同様 |
| 石臼挽き | 御影石の石臼で微粉末に | 抹茶だけの工程 |
この表の中で最も本質的なのは、やはり「揉まない」ことです。煎茶は抽出向けに葉の内部を開いていくお茶ですが、碾茶は粉にする前提で、葉の構造を壊しすぎずに乾燥させます。抹茶のきめ細かさは、石臼の性能だけでなく、ここまでの工程の積み重ねで決まります。
石臼挽き — 抹茶になる瞬間
石臼のスピードと粒子径
選別と合組を終えた碾茶は、温度と湿度を管理した環境で保管されます。抹茶は挽いた瞬間から酸化が進みやすくなります。微粉末は表面積が大きく、空気や湿気に触れる面が一気に増えるからです。そのため、品質に厳しい生産者ほど、挽くタイミングを出荷や使用の直前に近づけます。
石臼は御影石製で、直径は30cm前後が一般的です。上の石が回転し、中央の穴から入った碾茶が外側へ向かって少しずつ砕かれ、縁から粉末として落ちてきます。回転数は毎分30〜40回転が標準で、1臼あたり1時間に40〜60gほどしか挽けません。8時間動かしても約400gです。工業的な速度ではありませんが、ここを急がないことが抹茶の品質を支えています。
遅い回転には明確な意味があります。速く回せば摩擦熱が増え、香気成分が飛びやすくなります。粒子のそろい方にも乱れが出やすく、点てたときのなめらかさや明るい緑の見え方にも影響します。石臼挽きは伝統の装飾ではなく、低温で細かく均一に粉にするための合理的な方法です。
機械挽きとの味・色の違い
石臼挽きの抹茶の粒子径は、おおむね5〜10マイクロメートルです。この細かさがあって初めて、お湯の中で粉が均一に懸濁(サスペンション)し、泡立ちが安定します。ボールミルや冷凍粉砕機による機械挽きは20〜30マイクロメートル程度になることが多く、口当たりが重くなりやすく、時間がたつと沈みやすくなります。
色の出方も異なります。粒子が細かいほど光が散りやすく、石臼挽きの抹茶は明るく輝くような緑に見えます。機械挽きはオリーブ色寄りの、落ち着いた見え方になりがちです。どちらが絶対に優れているという単純な話ではありませんが、薄茶や濃茶で求められるなめらかさ、香りの立ち上がり、余韻の静かな長さという点では、石臼挽きが今も基準として扱われています。
産地と品種が品質を決める
宇治・西尾・静岡の特徴
抹茶は日本各地で作られていますが、代表的な産地としてまず挙がるのが宇治、西尾、静岡です。近年は鹿児島でも碾茶生産が急増しており、全国有数の産地のひとつになっています。同じ碾茶製法でも、気候、土壌、水分条件、霧の出方が違えば、完成する抹茶の輪郭も変わります。被覆栽培と石臼挽きだけで品質が決まるわけではなく、どこで育った葉かという土台が大きく効いてきます。
宇治(京都)は宇治川・木津川・桂川の三川が合流する地で、川霧が発生しやすく、自然の遮光効果と高い湿度が碾茶栽培に適しています。600年以上にわたる碾茶・抹茶生産の歴史があり、テロワールと品種の蓄積は非常に厚いものがあります。旨味の重なり方や香りの繊細さで、宇治を基準に語られることが多いのはこの背景があるためです。
西尾(愛知)は内陸の温暖な気候と水はけの良い土壌が特徴です。宇治よりやや力強い甘味のある碾茶が生まれやすく、輸出向けのセレモニアルグレードのブレンドでも存在感を発揮します。量産だけではなく、厚みのある味わいを安定して作りやすいことが西尾の強みです。
静岡は掛川周辺の標高の高い産地でも碾茶生産が行われています。草感がやや強く、ハーバルなニュアンスを持つ個性的な抹茶になりやすく、宇治や西尾とは違う方向の魅力があります。知名度だけでは測れない産地個性です。
さみどり・おくみどり・あさひ
品種は味と色に直接影響します。さみどり(Samidori)は宇治を代表する品種で、鮮やかな色と複雑な甘味が持ち味です。おくみどり(Okumidori)は色が深く、風味が安定しており、ブレンドベースとして重宝されます。あさひ(Asahi)は宇治最古級の品種のひとつで、繊細で奥行きのある風味が高値の理由になっています。
単一品種で仕上げる場合もあれば、複数品種を合組して目標の香りや色に近づける場合もあります。抹茶の個性は、産地だけでも品種だけでも説明しきれません。その組み合わせが、最終的な一碗の印象を決めます。詳細な品種比較は抹茶・碾茶の品種と特徴でも触れています。
碾茶 vs. 抹茶 — 混乱を整理する
碾茶と抹茶は、まったく別のお茶ではありません。同じ葉の、異なる加工段階です。碾茶は被覆栽培した葉を蒸し、揉まずに乾燥させ、葉脈と茎を除去した完成原料です。抹茶は、その碾茶を石臼で挽いて初めて成立する飲みものです。つまり、抹茶の本体は碾茶ですが、碾茶のままではまだ抹茶ではありません。
ここで誤解されやすいのが、「碾茶をそのまま淹れれば抹茶に近い味になるのではないか」という点です。実際にはかなり違います。碾茶を煎茶のように急須や茶こしで抽出すると、香りは軽く、味わいは平坦で、草っぽさが前に出やすくなります。抹茶の厚み、泡立ち、口中に広がる旨味は、葉を丸ごと微粉末にして懸濁させることで初めて現れます。
まれに碾茶そのものが販売されることもありますが、それは抹茶の代用品というより、原料の個性を確かめるためのものです。葉のままでは香味の出方が直線的で、抹茶にあるやわらかな粘りや奥行きまでは届きません。石臼を通す前後で、同じ葉でも飲みものとしての性格が変わります。
石臼挽きは装飾的な最終工程ではなく、本質的な変換です。葉のままでは抽出されにくい成分も、5〜10マイクロメートルの粉になることで口の中での感じ方が一変します。グレードの見方は抹茶のグレードガイドで、実際の点て方は抹茶の点て方で確認できます。緑茶全体の製造工程との比較は不発酵茶の製造工程、抹茶が緑茶全体の中でどこに位置するかは抹茶と緑茶の違いが参考になります。
抹茶は「待つこと」で作られます。遮光の3〜4週間、碾茶炉での段階乾燥、石臼の40〜60g/時という速度。どこにも急ぐ工程がありません。私たちが椀の中で受け取る静かな濃さは、その積み重ねから生まれます。
てん茶は被覆栽培で育てられるため、完成した抹茶は比較的カフェイン量が多くなります。詳しくは抹茶のカフェイン量の解説をご覧ください。
石臼挽きの違いを味わうなら、茶葉コレクションでどうぞ。
