July 20, 2020
アッサム種と中国種

お茶の品種は日本だけでも100種類以上、世界全体には途方も無い数の品種が存在します。

しかし、そんな沢山の品種の元になる木は地球上にたった2種類しかありません。

アッサム種と中国種

紅茶もウーロン茶も緑茶も、お茶のすべての品種は大きく分けてアッサム種(大葉種)と中国種(小葉種)の2種類のみ。そこから枝分かれしてさまざまな品種が生まれています。

ちなみに日本のほぼすべてのお茶は中国種に属します。

アッサム種の特徴

アッサム種はタンニンが多く、香りも豊かで酸化発酵が進みやすいため主に紅茶に使われる品種です。

寒さに弱く、高温多湿の気候を好むため、スリランカ・インドなどで多く栽培されています。

アッサム種はこれといった摘採期がなく、年間40〜50回も収穫します。

ちなみに一番美味しい茶葉が摘める時期は3月〜6月・9月〜11月で、この時期のことをクオリティーシーズンといいます。特に3月と4月に摘まれたお茶はファーストフラッシュと呼ばれ、特に濃厚な味と香りを楽しむことができます。

中国種の特徴

中国種はタンニンが少く、味や香りが繊細で、酸化発酵もしづらいので緑茶に使われるお茶です。

耐寒性が高く、寒くて乾燥した場所で育つことはもちろんのこと、順応性が高いので暑くて湿度の高い場所でも育ち、日本・中国・台湾などで栽培されています。

春先から秋の始まりにかけて年4回ほど収穫をしますが、日本ではその年最初に摘んだお茶を「一番茶・新茶」とよび、この時に摘んだお茶は最も高品質で高値で取引されまます。

アッサム種の歴史

アッサム種はインドのアッサムで見つかった野生の茶の木です。しかし世界に浸透するまでには様々な苦労がありました。

1780年代、すでにインドには輸入した中国種の茶の木が植えられていました。

中国種ではなく、自国の野生の茶の木がどこかにないかと探されていましたがなかなか見つかりません。

1823年、イギリス人の植物研究家ロバート・ブルースがインドのアッサムという地に遠征した際に見たことがない茶の木を見つけました。これがのちのアッサム種の発見です。

しかし、インドの植物学者が下した判定結果は「これは茶の木ではなくツバキの木だ。」でした。

当時は茶の木と認められなかったのです。ロバート・ブルースは失意のまま亡くなりました

その後ロバート・ブルースの意志を継いだ実の弟チャールズの努力により、やっと茶の木と認められます。アッサム種の誕生です。

1838年、チャールズ監督の元、アッサム種から作られた初の国産緑茶が完成。翌年にはロンドンでオークションにかけられ高値で取引されました。

このことでお茶事業への期待と関心が高まりますが、ここからが大変でした。

アッサム種が発見されたアッサムという地は危険な野生動物や毒蛇が生息しており、なかなか開拓が進みません。

そんな中、今度はマラリヤやコレラなどの感染症が流行し、たくさんの作業員が亡くなりました。

なんとか生産ができても輸送ルートが確保できず輸出に至らなかったり。

しかし、当時の人々にとってアッサム種は希望そのもの。諦めませんでした。

その結果、最初の発見から27年後の1850年あたりからお茶の生産も軌道に乗り、東南アジアやアフリカでもアッサム種のお茶の栽培が始まります。

その後紅茶が生まれ、イギリスを中心に世界中に浸透し、今に至ります。

中国種の歴史

お茶の起源は中国。その歴史は紀元前から始まり、神話にも出てくるほど昔からお茶はありました。

お茶の発祥に関しては諸説ありますが、雲南省西南地域で初めて茶の木が発見されたという説が有力です。

このころ、お茶の葉は薬として認識されていて、嗜好品として飲まれ始めたのは紀元前59年ごろ。

760年ごろには世界最古のお茶の専門書『茶経』が完成し、飲み方や淹れ方が今のスタイルに近付きます。

805年には日本に中国のお茶がやってきます。日本のお茶の歴史はここから始まり今に至ります。

そこからだいぶ経った1610年ごろ、ヨーロッパにも初めてお茶が輸入されます。

台湾にお茶が持ち込まれたのよりもさらに遅い1810年ごろです。

アッサム種が発見されたのはさらにここから10年以上後。

アッサム種の歴史は、中国種のそれと比べて遥かに短く、まだ発見されて200年も経っていない、非常に新しい品種なのです。