抹茶の粉末を見ていると、それがもともと「葉」だったことを忘れそうになります。石臼で挽かれる前、茶葉は「碾茶(てん茶)」と呼ばれる形で存在しています。針のように細く巻かれた煎茶でもなく、丸く押し固められたペレット状でもない。平たく、薄く、茎と葉脈を取り除いた、ごくシンプルな乾燥葉の断片。それが碾茶です。
抹茶を語る記事は数多くありますが、碾茶から語り始めるものは少ない。この記事は碾茶を主役に据えます。粉になる前の葉を知ることで、抹茶の味わいや品質を別の角度から理解できるからです。碾茶と抹茶の関係、製法の違い、そして「碾茶をそのまま飲む」という試みまで、順を追って解説します。
抹茶になる前の葉、碾茶
碾茶は、被覆栽培で育て、蒸してから揉まずに乾燥させた茶葉です。石臼で挽くと抹茶になります。「碾」という漢字には「挽く・すり砕く」という意味があり、名前からすでにその用途を示しています。
碾茶は通常の飲用茶として流通することがほとんどありません。生産量のほぼすべてが抹茶の原料として製茶業者や製粉工場に渡ります。お茶の棚に並ぶことは稀で、知っていてもその姿を見たことがない方がほとんどです。
玉露と碾茶はよく混同されます。どちらも20日以上の被覆栽培を行うからです。しかし、摘採後の工程がまったく異なります。玉露は揉捻(もみ)工程を経て針状に成形されます。碾茶は揉みません。ただ蒸して、乾燥させる。この揉まないという工程が、碾茶と他の緑茶を分ける最大の特徴です。
碾茶と抹茶の違い — 葉と粉は何が違うのか
碾茶は葉。抹茶は粉。このひとことが基本ですが、それぞれの性質はかなり異なります。形態・味わい・使い方・保存性まで、別物として理解するほうが実態に近いです。石臼で挽く工程ひとつが、ふたつの性格をまったく異なるものに変えます。
| 碾茶 | 抹茶 | |
|---|---|---|
| 形態 | 平たい乾燥葉の断片 | 細かく挽かれた粉末 |
| 飲んだときの味わい | 繊細な旨味・海苔のような香り・抹茶より穏やか | 濃厚な旨味・青々とした緑の香り・力強い |
| 主な用途 | 石臼で挽いて抹茶にする・まれにリーフとして飲む | 茶筅で点てて飲む・菓子・料理・ドリンクに使う |
| 市場での入手しやすさ | ほぼ流通しない | 国内外で広く販売 |
| 保存性 | 葉の状態のほうが劣化しにくい | 挽いた後は劣化が早い・冷暗所保管が必須 |
石臼で挽くことで、すべての細胞が壊れ、葉の中に閉じ込められていた成分が全て解放されます。抹茶の鮮やかな緑色、濃密な旨味、舌に広がる厚みは、この「全細胞を粉にする」という工程から生まれます。碾茶の状態では、それらの成分は葉の中にまだ眠ったまま。
抹茶のグレードや飲み方については、抹茶グレードの解説記事をご参照ください。点て方については抹茶の点て方ガイドで詳しく紹介しています。
碾茶の製法 — 揉まずに乾燥させる理由
碾茶の生産は被覆から始まります。摘採の20日以上前から、棚掛け(たながけ)と呼ばれる方法で茶樹の上方に遮光資材を張り上げ、日光を85〜98%カット。光合成が抑制された茶樹は、苦味や渋味の元になるカテキンへの変換が滞り、旨味成分のテアニンが葉に蓄積されます。これが抹茶の深い旨味の源泉です。
摘採後は蒸し。酸化を止める日本茶の基本工程です。ここまでは玉露と変わりません。違いはその後。玉露が揉捻工程で針状に成形されるのに対し、碾茶は揉みません。熱風をあてながら、葉を平らに広げた状態のまま乾燥させます。
揉まないことで、細胞壁が壊れず、揮発性の香気成分が逃げにくい。これが、抹茶特有の「覆い香(おおいか)」と呼ばれる被覆茶らしい香りや、石臼で挽いたときの豊かな色香につながっています。乾燥後は、茎や葉脈を取り除く「選別」工程を経て、柔らかな葉の部分だけが碾茶として仕上がります。
製法の詳細は抹茶・碾茶の製法ガイドで解説しています。被覆が葉の成分に与える影響については、被覆栽培の記事もあわせてご覧ください。
碾茶の産地 — 宇治・西尾・静岡
碾茶の産地として歴史的な存在感を持つのが京都府・宇治です。日本で被覆栽培が始まった地とも言われ、碾茶の栽培技術が発祥・発展した場所として知られています。宇治の茶畑の景観は「日本遺産」にも認定されており、春になると黒い遮光資材が整然と広がる風景が見られます。
愛知県西尾市は宇治と並ぶ碾茶の主要産地。砂質土壌と適度な湿度が碾茶栽培に適した環境をつくり出しており、手摘みによる品質管理を続ける農家が多く残っています。菓子や食品加工用の抹茶原料として多くの碾茶を供給しています。静岡県でも近年、碾茶の生産規模が拡大中。食品加工向けを中心に、主要産地としての存在感が増しています。
産地によって、碾茶の個性(すなわち抹茶の個性)は異なります。宇治の碾茶は旨味が深く、複雑な香りを持つと言われます。西尾の碾茶は明るく、青々とした風味が特徴。どちらも優れた碾茶ですが、「抹茶の産地」を意識してみると、飲み比べが楽しくなります。
宇治の茶産地については京都の産地ガイドをご覧ください。碾茶との被覆方法が似ている玉露については、玉露の解説記事で詳しく比較しています。
碾茶をそのまま飲む — リーフとしての碾茶
碾茶はほぼ市場に出回らず、通常はそのまま飲む機会がありません。しかし、一部の専門農家や茶問屋では、碾茶をリーフとして提供する試みが始まっています。通常の緑茶とは異なる、揉まない葉ならではの静かな個性があります。
リーフとして淹れた碾茶は、繊細で穏やかな味わいです。揉まれていない葉は成分を緩やかに放出するため、淡い水色で、ほんのりとした旨味を持つお茶になります。玉露ほど力強くなく、煎茶ほど爽快でもない。海苔を思わせる静かな香りと、軽い甘味が特徴です。じっくりと向き合いたいお茶、という表現が近いかもしれません。
碾茶に関心が向くのは、それが抹茶の原点を示しているからです。粉になってしまうと、どの畑で、どんな被覆で、誰の手で摘まれたかが見えにくくなります。碾茶の葉の状態には、まだその記憶が残っています。
日本茶全体の分類については日本茶の種類一覧をご参照ください。抹茶と緑茶の違いについて知りたい方は抹茶vs緑茶の比較記事もおすすめです。日本産抹茶と中国産抹茶の違いについては日本産・中国産抹茶の比較で詳しく解説しています。
私たちの茶葉の品揃えは茶葉コレクションからご覧いただけます。
よくある質問
碾茶と抹茶について、よく寄せられる質問をまとめました。碾茶をそのまま飲めるかどうか、玉露との違い、カフェインの差など、初めて碾茶を知った方がまず疑問に思うことを中心にお答えします。
碾茶は抹茶にしなくても飲めますか?
飲めます。ただし、通常は市販されていないため、入手の機会は限られています。リーフとして淹れる場合は、60〜70°Cのお湯で2〜3分かけてゆっくり浸出させるのがおすすめ。繊細な旨味と穏やかな海苔のような香りが楽しめます。抹茶のように点てる濃密さとは別物ですが、碾茶ならではの静かな魅力があります。
碾茶と玉露は同じものですか?
違います。どちらも20日以上の被覆栽培を行う点は共通していますが、摘採後の工程がまったく異なります。玉露は揉捻(揉み)工程を経て針状の茶葉になります。碾茶は揉まず、平たく乾燥させるだけ。その後、石臼で挽かれて抹茶になります。目的も、形も、飲み方も別物です。玉露についてはこちらの玉露の解説記事をご覧ください。
碾茶と抹茶のカフェイン量はどう違いますか?
抹茶は茶葉を丸ごと粉末にして飲むため、浸出液のみを飲む通常の緑茶よりカフェインの摂取量が多くなります。薄茶一杯(抹茶約2g)で約64〜70mgのカフェインが含まれます。碾茶をリーフとして淹れた場合は、浸出される量だけになるため、他の緑茶と同程度になります。抹茶のカフェインについての詳細は抹茶とカフェインの記事をご参照ください。
