茶器|有田焼/伊万里焼
お茶が好きで茶葉だけではなく、急須や茶碗(湯のみ)などの茶器にもこだり、お気に入りの焼き物を使っていらっしゃる方は少なくありません。
その中でも有田焼・伊万里焼を愛用している方は多いのではないのでしょうか。
有田焼・伊万里焼って?
有田焼・伊万里焼とは佐賀県の有田町周辺の地域で作られている磁器のことです。
焼き物にはいくつか種類がありますが、そのうちの1つである「磁器」の起源が有田焼・伊万里焼です。
有田焼・伊万里焼の美しさは、あの世界的に有名なブランド「マイセン」にも影響を与えたといわれています。
有田焼と伊万里焼の違い
有田焼と伊万里焼はもともと同じものです。
17世紀後半に海外の会社が有田焼を買い付けるようになったのですがこの時、有田焼を輸出してた港が伊万里にあったため「伊万里焼」と呼ばれるようになりました。
現在は有田で作られているものを「有田焼」、伊万里で作られているものを「伊万里」と区別して呼んでいます。
特徴
有田焼・伊万里焼は硬くて丈夫なのが特徴。
透き通るような白磁にさまざまな色で鮮やかに絵柄がつけられており、その美しさはヨーロッパの陶器の歴史に影響を与え、今もなお「IMARI」という愛称で高い人気を誇っています。
特に透明感のある白磁は「白い金」と称えられ、世界中から高い評価を得ています。
また、磁器は基本的に複数の土を配合して焼くのですが、有田焼・伊万里焼は1種類の陶石のみを使って作られる、世界的に見ても非常に珍しい磁器です。
有田焼・伊万里焼の歴史
伊万里焼の歴史は今から400年前に始まります。
当時、焼き物技術の伝承のため日本に来ていた朝鮮人陶工の1人が、有田にある泉山という場所で陶石を発見したことで、日本初の陶磁器が作られました。
これが後の有田焼・伊万里焼です。
その後しばらくして有田焼・伊万里焼が安定して作れるようになった頃。当時は中国の陶器が世界で人気を集めていたのですが、中国の内乱により生産・輸出が減少し、その代わりに有田焼・伊万里焼が世界に輸出されるようになりました。
輸出されるとその豪華さと繊細さにヨーロッパを中心に絶大な人気を得て、今では世界的に有名な磁器となりました。
有田焼・伊万里焼は、「偶然発見され、たまたまその原材料が優良で、完成して輸出するタイミングにも恵まれた」という、いくつもの幸運が重なり生まれた焼き物なのです。
茶器|波佐見焼
お茶を飲むときにお気に入りの焼き物を使って淹れる人もいるでしょう。
日本にはさまざまな地域で焼き物が作られていますが、その中でも今回は、最近注目を集めている長崎県の「波佐見焼」をご紹介します。
波佐見焼って?
波佐見焼は長崎県にある波佐見町とその付近で昔から作られている陶磁器のことです。
波佐見町は人口1万5000人ほどの小さな町ですが、町の中には150軒ほどの窯元や商社があり、町に住む人の2割〜3割が波佐見焼に携わった仕事をしています。全盛期はその割合は7割にものぼったそうです。
日本の日用食器の20%弱は波佐見焼の食器であり、茶器も多く作られています。
特徴
波佐見焼の特徴はいくつかありますが、特にわかりやすい点を2つ紹介します。
日常食器という立ち位置
陶磁器と聞くと高級なイメージがありますが、波佐見焼は日常的に使う庶民的な食器などを作っています。
高品質でありながらお手頃価格なので幅広い層に愛用されています。
決まった技法がない
波佐見焼にはこれといった技法がありません。なので、その時代に求められる形・デザインの焼き物を柔軟に作ることができるが波佐見焼の強みでもあります。
デザインも大きさもバラエティーに富んでおり、専門店だけではなく食器屋や雑貨屋など、色々なお店で購入することができます。
波佐見焼の歴史
あまり知名度の高くない波佐見焼ですがその歴史は長く、始まりは400年前と伝えられています。
当時の日本は焼き物が非常に注目されており、貴重な茶碗(湯のみ)を所有しているというだけで権力を持てるほどで、焼き物はまさに家宝扱いでした。
ある時、各地の裕福な大名たちが焼き物の高い技術を得るために朝鮮から陶工達を連れて帰り、日本の3ヶ所で焼き物作りを始めさせました。そのうちの1ヶ所が波佐見町で、これが波佐見焼の始まりだといわれています。
有田焼と波佐見焼
波佐見焼がそこまで広く知られていない理由の1つが、長い間「波佐見焼」としてではなく「有田焼」として売られており、近年までその名前が表に出ることが少なかったからだと考えられます。
波佐見焼の産地と有田焼の産地は非常に近く、どちらも有田から出荷していたため、2つまとめて「有田焼」と呼ばれていました。